ボランティアを普及させること。

東日本大震災から、2か月が経ち現地では救援普及活動が活発化している。全国の有志や団体が被災した人たちの力になろうと、ボランティアで現地入りし活躍している。

 しかし、行きたくても行けない圧倒的な(心情ボランティア)がどういう役割を果たすのか?少し考えてみたい。
直接現地に赴き、救援活動に携わることについては、問題なく一定の役割が果たせる。どんな組織により計画されているとしても、何らかの支援活動である限り、そうした活動は被災した人々にとって間違いなくプラスになるだろう。

 問題は、直接支援が出来ない人たちがどういう後方支援を継続できるのか?について、ちゃんとした位置づけがいるように感じる。

 5月14日付の新聞では、ボランティアについてアンケートがされた結果がランキングされていて、その第1位に「節電をする」、という行為が実はボランティアの分類に入ると書かれてあった。
無駄な電気を、少しでも切り詰めてその少しずつ貯めた結果が社会自体の節電効果を生み出し、結果的には厳しい電力事情の中でボランティアとしての機能を果たすというわけだ。
自分の生活範囲の中で、個人が管理できる電源はいくつかあるはず。一人一人の眼で、そうした電源のスイッチを切ることにより、「ちりも積もれば山となる」形で無駄な電気が節約できる。

こうしたことに異論をはさむ人は少ないと思うが、問題は企業活動や生産活動での大量の電気が消費されていることに対して、どういったメスが入れられるのか?ここんところが勝負の分かれ目になるように思う。
・・・というのも、いくら個人で節電をしても、企業活動のそれと比べれば値は小さい。社会において決定的な省エネを図るには、やはり企業活動の在り方を変えていかねばならない。
夏になると、エアコン等の電力消費がうなぎ上りに増え、ピークになることが懸念され、どうエネルギーの消費を節約するのか?が問われている。
暑さに耐えられない人間が増えたが、汗をかいて涼しくなる人間の機能が、冷房を常時享受することにより、退化しているのではないか?
確かに夏は暑い、それは変えようがないが、自然の風や直射日光を避ける暮らしの中でもっと工夫できることがあるはずだ。
ある意味、昔の人達が暑さ対策で工夫してきたことを、もう一度学ぶ必要もあると思う。
ビルとコンクリートに囲まれる都市が、いかに温暖化を促進しているか?ということにもつながると思うが、これからはエアコンを使用しなくても夏の暑さを乗り切れる生活方法が、もっと工夫される必要がある。
こうした試みが、生活の中の知恵というものだろう。

 我が家では、今年もエアコンなしの夏を迎える。「エアコンを設置しておりません」、と話をすると、殆どの人は唖然とされるが、私たちはずっとそうした生活を続けてきており、それで当たり前だと思っている。もちろん扇風機は大活躍し、網戸がなければ大変だが、自然の風をうまく家の中に通す仕組みが住宅環境では不可欠だと考えている。
そうそう、うちわも大活躍する今年の夏、また息子たちとエアコン設置論議が巻き起こるのかもしれない。
(どうしても必要なら、自分で稼いで自分の部屋に取り付けなさい)私たちは、取り付ける必要がないと考えている・・・そうした会話が他の家庭でも繰り広げられているのかもしれないが・・・