原子力発電の是非を考える。

今、社会におけるその問題に対する価値観が真っ二つに分かれている問題として、原子力発電の問題があります。
そもそも、原子力に関しては、あの忌まわしい原子力兵器の惨禍を唯一体験した国家として、当然ながら根強い反対感情がある。
まるで人体実験のように、何十万の市民が、米軍による原爆投下により実際に被害に遭い、助かった人もその後遺症に今も苦しんでいるという事実がある。
・・・米国では、こうした戦争末期の戦争犯罪を、戦争の早期終結のためにはやむを得ぬ選択であったと理解し、米軍の選択が正しいと信じている人が今もまだ多数派であることが知られている。
日本人としては、こうした米国民の感覚に対して、大きな不満と違和感をぬぐうことは出来ないし、そうした核兵器肯定論は誤りであると主張していきたい。

ところで、最新の世論調査では、日本での原発反対の意見が賛成派を逆転して多数派となったことが報じられていたが、東日本大震災福島原発放射能汚染問題を考えれば当然のことであろう。

 逆に考えれば、これだけの環境汚染を発生進行させておいてまだ原発を推進することに同意する人が多数おられることに対して大きな不安と疑念を感じる。

震災後2か月以上たっても、まだ福島の原子炉を安定させて制御することが出来ない現状について、何と考えているのか?

冷却のために、何千トンという注水がなされ、それが汚染水として地下に溜まっておりその処理に対しても大きな脅威を感じる。付近の海水にもかなりの量が垂れ流され、地下にも確実に浸水しているであろう放射能汚染水が、今後私たちの健康に対してどういう影響を与えるのか?これについてはまだ全く科学的な検証がなされていない。

 海外では、フランスや米国のように、何が何でも原子力発電の維持継続を変えない国と、ドイツやスイスのように、原発を無くすための方針転換を宣言し実行し始めている国とに分かれているが、果たして日本はどうするのか?現状では、管政権がとる立場は中途半端な領域を超えていない。
唯一評価できることは、浜岡原発の一時休止を提言時実行したことがあげられる。しかし、これも永久の停止宣言ではなく、条件が整えば再開する可能性が担保されている。

 この原子力発電問題は、エネルギーの運用政策と切っても切れない関係にあり、学者たちの間でも真っ二つに分かれる考え方の相違が顕著となっている。
現在までの科学的検証を踏まえて、果たして安全、クリーンなエネルギー源と言えるのかどうか?しっかり社会的議論を進めるべきであろう。

 この問題については、国家を上げて検証し論争すれば良いと思う。
そして、一定の期限をつけて、国民投票において政策決定をしていくべきだろう。
そこで決められた判断により、国会で選出された政党なり政権なりがエネルギー政策を進めていくべきだと思う。
大切なことは、今は議論を出し尽くすことであり、真面目な議論である限りさまざまな発言を尊重してお互いに聞くべき時であると信じる。

 議論を尽くすということが、これほど大切な討議過程であることを今は反対派賛成派を問わず確認していきたい。

安易に、相手を中傷したり揶揄することに意味があるのではなく、未来の日本と世界のエネルギー政策の為に、一人一人が持てる技能と知恵を合わせていくということが求められていると感じる。

 そして、そうした国家的議論の場を、きちんと政権が早急に作って一定の納得が出るまでの「科学的なディベートを保障する」ことが必要だと思う。
頭の回転が良い学者さんや口達者な人だけが自己満足するのではなく、国民の多数がその議論を通じて自らの信じていた考え方を洗い直し、考え直して反対する意見についても十分に吟味することが求められている。
ただ、議論に勝つ為の攻撃は相応しくなく、自己の考え方だけを押し通していては、この国はいつまでたっても一人前の民主主義社会には到達できないだろうと思う。

もちろん、現実に発生する緊急措置や、現状の社会を進める現状の政策は止められないだろうが、こうした「未来に対する意欲的なディベート計画」をぜひ実現して頂きたいと願う。

個人的には、私は原発は人類にとって危険であり無くしていく中で再生エネルギーに転換することを希望する。
確かに二酸化炭素においてはクリーンな発電方法であるかもしれないが、地震国日本においてはあまりにも危険な発電方法であり、しかも人体への汚染を考えるととても推奨できないと考える。

早急に、代替エネルギーへの転換政策へと進路を変更すべきだろう。