もう十数年会っていない次男について

私には二人の兄がいます。
一人は、京都に住んでおり、時々会うことが出来ますが、昨年は会っておりません。・・・通常お正月などに顔を合わせるものですが、私たちはお互いが思いついたり声掛けしたときに遭う関係です。
仲が悪いわけではないのですが、親密とは言えない間柄です。
お互いが仕事や家族、各々のやることに精いっぱいで、兄弟同士で話をする暇がない、という言い訳を持っています。

 ところで、今日書きたいことは長男のことではなく、次男のことです。
今どこに住んでいるのか?分かりません。消息が分からないには理由があり、その負い目を本人が居っていることはだれも否定しません。
次男にも家族がありましたが妻と子供を責任もって育てることなく、その資格も剥奪されてどこかに行きました。
子供たちは、もうそれぞれ大人に成長し、独立して生活しているように聞いていますが、ふがいない父親の影響を受けて精神的なダメージを少なからず受けていたことでしょう。
でも、幸い逞しく生き抜いておられるようです。奥さんとは年賀状のやり取りもしております。

 次男と自分は4歳違いで、少年時代はしばしば兄弟げんかもしました。年齢のせいなのかいつも自分が泣かされていたようにも思います。長男が仲裁して、私を擁護してくれたようにも記憶しています。

思うに、次男の人格が変化したのは大学生になって軽音楽クラブをやりだしてからのことです。次第におしゃれに気を使い、クラブの友人たちとつきあうことが多くなりました。
やがて就職して、結婚し、自分で商売をするようになり、そこそこ儲けもする仕事を続けていました。
しかし、結婚した自分の家庭を不幸にしました。
…子供は可愛がったのですが、妻をほっておいてどこかの女性にうつつを抜かしたり…とにかく奥さんを困らせました。

「火遊び」についても、適当なところで切り上げて軌道修正が出来ていれば、恐らく大火事にはならなかったでしょう。しかし、最後は家庭をつぶしてしまい、離婚しても養育費を支払わなかったように聞いています。
父親としての責務を果たせなかった次男は、どう弁解しても男として失格です。
母親が亡くなって、葬式のどさくさで兄弟が集まった折に、兄弟3人で話し合いをしました。次男に対して、子供たちに対する責任をしっかり果たすよう説得を試みました。・・・しかし、結果的には次男の気持ちを変えることは出来なかったのです。
 私は、その話の中で感情的になって、次男を殴りつけました。
長男が止めに入り、喧嘩争いにはなりませんでしたが、次男はどう感じていたのか?今となっては分かりません。弟に噛みつかれた思いだけが残り、誇りが傷ついていたのかもしれません。
長男も私も、自分たちの思いが次男に伝わらないことが悔しく、自らの家族を守れず子供たちを不幸にしていく生き方に、憤りを感じました。

 こんなことがあって、次男とは会わなくなりました。
…あれからずっと、どこに住んでいるのか生きているのかさえ分かりません。
ニューヨークのテロに襲われたビルが崩壊する姿を見たとき、ひょっとして、あの中に次男もいたのではないか?感じたことがありました。
英語が話せるので、海外で暮らしていることも十分あり得るからです。

 こうして、3人兄弟のうちの一人は行方不明のままです。そして亡くなった両親のことを時々思い出します。
仲の良いクリスチャンの二人は、子供たちの誰かが親の遺志を継いでクリスチャンとして生きていってほしいと願っていたことでしょう。
しかし一番期待を寄せていた、末っ子の私が不信心な生き方をしてきました。
最近は年に一度も教会に行くことがなく、普通の市民生活を送っていますが、ふと両親や兄弟のことを思い出すことがあるのです。
自分のルーツをたどり、はるか昔に記憶をたどるり、何かを忘れてきたのではないか?と考えたりもします。
でも、いくら精神を研ぎ澄ましても、何も出てきません。
ただ、すっきりしなかった次男のことを少し書きたくなり、思い切って文章にしました。

ブログに書くことが、どういう意味か?自分にもよく分からないのですが、心にあるものをそのまま書くことで少しは、気分が収まってきたように感じます。