電車内でのトラブルを通じて感じたこと。

先日の夕方、電車内で起こったことです。
日曜日の夕方、遠方の研修会から帰宅するために私鉄電車の急行に乗っておりました。
始発駅から乗車していたのですが、次の駅から乗った男二人が車両の真ん中あたりで大声を出していました。
私は座席に座り本を読もうとしていたのですが、ただならぬ声を聴いて様子を伺うと、どうやら二人の男が吊り革を隣合せていがみ合っているのです。
何を争っているのか?さらに様子を伺うと、一人の年輩の男が語気を強めて「若いもんが座席に座って、何してるんだ!年寄りが立っているやんか」と大声を張り上げ、横に立っている男に詰め寄っています。
詰め寄られている男は座ってはいないのですが、どうやらうるさい怒鳴り声にいら立っているようで、「向こうへ行け!」とこ突き出しました。
 それに興奮した年よりの男が、さらに大声を上げて、「わしは間違ったことを言うてない。若いもんが座って年寄りが立っていることはおかしいやろが!」とつかみかかろうとしています。(どうやら、酔っ払いの男は車内の若者に対して、席を年寄りに譲れといきり立っているようです)
しかし、酒が入ったせいか、何度も大声で静止する隣の男に詰め寄ろうとしています。
 とうとう二人は取っ組み合いを始めました。
車内は、ほぼ座席が埋まり、立っている人も相当いて、込み合っているほどでもないが、150%くらいの乗車状況です。
争う二人をしり目に、付近の乗客たちは知らんふりをしています。
<これはほっておけない。>

 そこで、私は立ち上がって荷物を自分の座席に置き、二人の方につかつかと進み「お前らええ加減にせい!」と一括して二人の間に入りました。すでに掴み合いを始めていた双方は、かなり興奮していてなかなかひき離れようとせず、一方の元気そうな男はげんこつで相手に殴りかかろうとしている。
「やめとき!乗車しているお客さんの迷惑を考え!」
と興奮状態を制止しようとする、私。
しかし、興奮が高まった二人は、争いをやめようとせず、中に入る自分と三人の掴み合いが、騒々しく収まりがつきません。
何やら女性の声がして、「もう、やめて下さい。やめて下さい」とかな切り声をあげている。
相当車内にも緊張感が漂っているようで、混乱状態となっています。

 年寄りの男は、どうやらお酒が高じて興奮状態にあることが分かり、飲んでいない男の方を中心に説得する作戦にかかり始める。
「相手はのんどるんやさかい。もうええ。このくらいで引き離れなさい!」「これ以上争ってたら、二人とも暴力行為で警察行きやで」と警告する。

二人の男を一人で静止するのには骨が折れたが、車内には他にも男はたくさん乗っている。若い兄ちゃんもいる。しかし、このいざこざには知らんふり。冷たいもんだ。
暫らくしてやっと車掌が来て、私は仲裁役をバトンタッチすることが出来た。一人の酔っ払い男は車掌と一緒に後方車両に行き、もう一方のおっさんは次の駅で降りた。
列車は何事もなかったように進み、私も自宅がある駅で降りる。

 この出来事を通じて、電車内でのトラブルに対して、大多数の人が見て見ぬふりをして争いごとに対して行動しないことが不思議だった。
もし、自分の家の中や職場においてこれと同じようなことが発生したら、果たして同じように無関心なのだろうか?
赤の他人の争う姿を見て、自分とは関係ないから無視しようとしていたのか?それとも争う内容がとるに足らない原因だから黙っていたのか?
もし、揉め事に割り込んで自分が被害を受けるようなことになったら困るとでも思っていたとしたら、何と心の寒いことか?

体力に自信のないお年寄りや女性たちが何も出来ずに黙っておられたことについては、やむを得ない立場を理解できる。
しかし、普通の体力を持つ男たちが沢山乗車していたにもかかわらず、トラブルを静観していただけだという事実は戴けない。

 このような電車内でのトラブルは、良くあることかもしれないが、もしその発生現場に直面したなら、せめてすぐに通報して争いが終息するための行動性を発揮して頂きたい。
知らんぷりをして、争い事が大きくなり、大きなトラブルとなってしまっては争う双方だけの責任として問題が収まらないこととなる。

 喧嘩をする双方には、確かに自己責任がありどちらにも責められても仕方のない非はあるだろう。もし暴力沙汰になったとすれば、社会人として法の下に罰せられることは避けられない
しかし、争いの初期において、揉め事を収めることが周りの者には出来るはずだ。お互いに傷つけ合い取り返しが聞かない怪我を負う前に、正気に変えさせることも必要なはずだ。

今回争う二人が、大人げなく車内で取っ組み合いをする愚かさを見たが、それを見て見ぬふりをする人たちの心の冷たさもまた痛感した。
心の中では「あほな奴らや、ほっとかなしゃあない」とでも思っているのか?実に他人行儀だ。
喧嘩したくてたまらない双方を、人に迷惑をかけない方法ならまだしも、
公衆の面前の電車の車内で大の大人が掴み合いの争いをする・・・その現場を見て、なんとも思わない人が多いということ、これは現在の日本の社会の「心の貧しさ」として私の眼に印象付けられた。

 実を云うと昔、自分もある時、見知らぬ男に掴みかかったことがある。
それは、無神経な男が、自分の顔にくさい息をまともに吹きかけ、繰り返し吹きかけてくるので注意をした。しかしそれでもやめないので、切れてしまった。・・・その男の胸ぐらをつかんで、「てめぇのくさい息を、いつまで吹きかけるんや!」と詰め寄った。
その時は、逆に他の乗客から止めに入られ、興奮した自分を収めてもらうことが出来た。切れてしまった自分ではどうにも自分の怒りを収められなかった経験がある。

不特定多数の人が、乗り合わせる電車の中では往々にして感情的に切れて爆発しやすい状態に置かれている。
普通なら何のことも無く無視できる要因でも、そういう時は我慢が出来なくなってしまう。
ストレスが高い状態が、この社会には往々にして作られていることを知らねばならない。

こうした体験は、おそらく多くの人が経験していることかもしれないが、自分がその現場に出くわした時は、やはり行動的に対処をしていただきたいものだ。・・・もちろん、自分が当事者になることは避けるべきだが、もし現場を発見したら双方をおさめる努力は、眼を逸らさずにしていただきたいものだ。

 今回、警察が介入する事態には至らなかったが、一つ間違えばそういう事態になっていた可能性がある。
その意味では、今回はおさめ役として、一役果たせたかな?