今日は午後から、同窓会。

先日、昔同じ職場で仕事をしていた仲間から電話があり、「久しぶりに再開したいので、来れるだろうか?」との案内があった。
日曜日なら出席が出来ると返事したところ、要望を調整して日曜日の設定をしてくれた。どうやら5・6人が集まるそうです。

 私が福祉の世界に足を踏み込んだのは、今から18年前。
山岸会から抜け出て、とりあえずの住込み就労をし、今後の仕事をどうするか悶々としていたころに新聞求職欄で見つけた仕事があった。
「…お年寄りのお宅を、チームで訪問して、お風呂に入っていただくための仕事をするオペレーターを募集します…」
なぜかこの仕事の求人に興味を持ちすぐに面接をした。
大阪市内の事務所で面接を受け、即採用が決まった。
 資格は運転免許があり、健康であれば年齢は制限がなかった。
何年か仕事を続ければ、それなりに資格も取れることが分かり、初めは2時間をかけて豊中市の営業所に通った。
 仕事は楽ではなかったし、チームで行う訪問入浴の作業は人間関係においても連携が必要なことを習得した。
その頃は大阪市の在宅支援センターに訪問入浴の部屋を事務所として借りることが出来、市の在宅サービスの一環として、市から委託料を頂いて仕事をすることが出来た。その分、利益を第1に優先して仕事をすることではなく、市民サービスの一環としてお年寄りや障碍者が満足できるサービスを提供するために奔走することが出来た。

 初めの頃のチームの日課は、1日5・6件程度のノルマ日程をこなせばよかったし、訪問しても体調不良で中止になることもある。
予定がなくなり、予定よりも早く帰社することもあり、途中で時間調整してくつろぐ余裕もあったし、何よりも利用者宅で家族や利用者とゆったりと話をする余裕も持つことが出来、そうしたコミュニケーションが仕事に対する満足度、利用者側から見ても、来てもらった訪問入浴チームとの関係作りをすることが出来た時代であった。

 つまり、介護保険が始まるまでの訪問入浴は、福祉企業としての利益を第1義的に求められる仕事とはされておらず、大阪市の福祉事業として市民のニーズにこたえるための在宅サービスとして実施され、私たちはその事業の実現の一端を担う職業として、仕事をすることが出来たわけです。

 しかし、2000年の介護保険が始まることにより、訪問入浴は介護サービスの一つとして自立した運営が求められることとなり、市の在宅サービスセンターから追い出された(自立を求められた)
それ以降は、自社で事務所を探して入居し、事業収支が成り立つ運営をする必要に迫られ、親方日の丸の業務ではなく確実に利益が保証される仕事として業務内容が一新されることとなった。

 入浴車一台当たりの利用者訪問件数も、採算が成り立つよう平均訪問担当数が割り当てられ、入浴時間も実質で少しずつ短縮されることとなった。また事業効率を上げるために、訪問地域を分散して、移動時間を短縮して作業効率を上げることも要望されるようになった。

 私は、第1回目のケアマネジャーの試験に無事滑り込み合格し、介護支援専門員として介護保険制度のかなめの仕事を担当するようになった。
今まで現場訪問入浴担当スタッフとして「肉体労働」をしていたのと、ケアマネジメントをする仕事とはおのずと仕事内容が異なることとなる。その人それぞれのニーズに見合った居宅サービスを位置づけて「居宅サービスプラン」を作成し、それをモニタリングしていく仕事は、当初は内容よりも、制度を軌道に乗せることが優先された。利用者担当数も50人近くを持っていた。
しかし、その分アセスメントやモニタリングが疎かにされがちとなり、サービス優先のパック式のケアプランが蔓延ることとなる。
自分はそうしたケアプランを作らないことを信条にしていたつもりだが、ケアマネジメントの内容を検討し、精査するための事業所の研修体制は等閑にされて、次第に利益が優先される企業体質が出来上がりつつあった。
そうこうしているうちに、会社の合併=「大手企業への吸収」があり、やむなく私たちもその流れの中に放り込まれた。
それぞれ、新しい拠点地域事業所に分散して仕事をするようになり、別々の区域に分かれることになった。仲間たちとは次第に疎遠になった。大手企業の実態を嫌って、退社して別の事業所に去ったものもいる。

しかし、たまに連絡を取り合うことがあり、今回は一昨年から1年越しの再開となる。
それぞれ、どんな現場で仕事を続けているのか?意見交流がなされるだろうが、持ち場がそれぞれ違い会社もそれぞれだ。
私のように独立して事業所を始めた人も中には居るが、殆どは勤め人として仕事をしている。
ただ、懐かしいというだけでは、今後も関係を続けていけるのかどうか?分からないが、超高齢化の時代にあって、縁あって福祉の業界で仕事をすることが出来、時代の一コマの中で共に仕事をすることが出来たことは確認できるはずだ。それが有意義であったのか?そうではなかったのか?はそれぞれ見解が異なるだろう。
 それぞれの価値観と生き方に照らして、今後の人生の進路を確認することが出来るのならそれで良いと思う。
もし、今後自分の歩いていく道に不安やむなしさを覚えることがあるのなら、何度でも後ろを振り返ってみてみたらいい。
一緒に仕事をしてきた仲間たちがいたことを思い起こせば、そこで自分達が何をがんばっていたのか?何を教えられたのか?が分かるかもしれない。

 人は、1直線に自分の人生を歩き続けるにはあまりにも力が足りない生き物かもしれない。一人だけでは出来ることは限られている。
しかし、多くの仲間や友人たち、仕事の同志を得ることが出来たら、予想もしなかったような事業を展開することも可能だ。
 
 人生80年の時代だ。
まだ20年は残されている。
その中で、何がしたいのか?何が出来るのか?
改めて、考え直してみたい。
自分が精力を注いでいる居宅介護支援事業所が、果たして地域に根を下ろす事業所として定着するのかどうか?それはまだ分からない。
少なくとも、3名のケアマネジャーが就労する特定事業所として、独立型の居宅介護支援事業所としては無事着地することが出来ていることは確かだ。4・5名規模の事業所になれば、恐らく安定圏に入ったと云えようがまだ安心できないし満足することも出来ない。自分の健康が許されている中で1日も早く次のステップへ到達するよう進んでいきたいと念じている。

 昨年の東日本大震災から1年の記念日だ。
テレビでは、数日前からずっと震災テーマの番組が流され、多くの失われた命と被害の甚大さを再認識させられた。
支援を求める人達に今後も役立てることが出来ることは何か?
また、起こるかもしれない西日本での大地震に備えて、何を準備して行く必要があるのか?しっかり考え実行できることをしておきたい。

この時期、我が家のベランダは未だアップできる被写体が何もない。
恐縮ながら、先日大和八木駅から歩いて10分ぐらいで行ける「町並み保存がされている今井町一角」で撮った写真をどうぞ。
街並み全体が、昔からの木造建築で保存されており、路地を歩いていると100年前にタイムスリップしたような気持ちになりますよ。
その中に、美味しい料理店や喫茶店も出来ていて、味わい深いひと時を過ごせるのです。