水について考える


・・・「世界で人が利用できる淡水源は0.01%しかない」
地球上の水の量は、約1386億km3あり、そのうち海水が97.4%を占め、淡水は2.53%=約0.35億㎞3という統計的資料が記されているが、単位が大きすぎて実感できない。
でも、1万分の1だけが人間や動物の活用できる淡水であることを考えると、貴重な資源であることは理解できる。
 この公告特集に載っていた記事を見て、まず添付されている写真にじっと目が留まりました。雄大な色彩感と、映し出されている土の模様が不思議な景色として印象的だ。
水という一事に、水しぶきの趣向が凝らされている漢字から記事が書かれているが、何度読み返しても簡潔な主張が盛り込まれていて好感が持てる。
 とかく宣伝の文章は、その会社や団体の主張が強すぎて、客観的なバランスに欠いた意向が目について信頼性に乏しい内容が多いが、この公告に関しては違う。
何故なんだろうと考える。
おそらく、水をマネジメントする地域貢献の事業が、地球的な規模の考え方を前提として、初めて説得力を持つからかもしれない。
もともと、水は国家や一部の会社のものではなく、地球という環境で生きるもの全ての共有資源である性格を持っている。
ところが、政治的な対立や文化的な差異、貧富の格差などから水が必要な量が必要な人へ届けられていない現実がある。
これを解決すべく、人は何をする必要があるのか?
または、何をしてはいけないのか?
この問題を小さい子供のころからしっかり考え、基本的な思考基盤を持つことは教育という側面からも大変重要な課題であろう。
日本は水資源では恵まれた国だ。水が枯渇するのは夏の一時期を除けば、ふんだんに水資源は確保できる。アフリカや大陸の砂漠では、水に枯渇して生き物が命を絶たれている現実があるのに・・・
しかし、水は一つ間違えば生き物に対しては巨大な力として生命を脅かすエネルギーを持っている。集中豪雨による災害は、毎年日本のどこかで人や資産に被害をもたらしている。また地震国日本では、常に津波災害の備えをしておかなければ安全な市民生活は保障されない。
こうして、水をめぐる生き物との共存は、たえず戻ってくる生活の中での基本課題であることが分かる。
水道をひねれば、当たり前に使用できる水道水。
「水資源に対する認識を、どう考えますか?」
この公告記事は、私たちにこう問いかけているように思う。