公務員の入れ墨を規制すべきか?・・・橋下vs福島

 橋下氏の発言や政策提言は何かと物議を醸し出す。
大阪市が進めている市職員の入れ墨調査について、社民党福島氏が取り上げて発言し、それは解雇権の乱用であり、人権を無視した政策でありやめるべきだ。と語ったことが報道されている。
 同じ弁護士という専門職でありながら、橋下氏と福島氏のよって立つ考え方政治感覚は時に対照的に違いが鮮明となり、二人のやり取りを聞いた私たちには問題の核心について気付かされることが多い。

 実際に自分が議論に参加しなくても、こうした有名人がやり取りをしていただくことにより、一般大衆は多くのことを学ぶことが出来る。この意味では、どんな政治的議論でも教育的な価値が付与されている。つまり、第3者である国民が、こうした議論を冷静に聞いて、本当はどうか?という判断を新たにもつ機会となる。
 特に橋下氏は、大阪府知事から大阪市市長と選挙を通じて転任され、恐らく大阪では初めてであろう、知事と市長を連続して就任する(独裁的な権力執行人)に文字通り上り詰めた人物となった。
 彼をここまで成り上がらせたのは、他ならぬ大阪の民衆だ。財界のまわし者でもなく、かといって特定の思想集団の徒党でもない。「大阪維新の会」という政治集団が出来ているが、彼らは何の基本的な思想的背景を持たず、ただ単なる時世で求められる政治的課題や社会的テーマについて過渡的な一致点を持つ既成の政党に飽きた(または弾き飛ばされた)人々でしかない。
 彼らが、現在の混迷した政治状況で彗星のごとく出現したのは、それなりの理由を求めることが出来るが、いつまた霧散小党化する形になるのか?恐らくその時期はそう遠くないだろうと予測する。

 ところで、本題は刺青問題だ。
市職員が刺青をしている?というのは、普通の生活をしている市民にとっては多少驚きを持ったニュースではあるだろう。・・・仮に市役所等に公共手続きに行った際に、入れ墨を入れた職員が事務処理をし、窓口等で対応していたら、ショックを受ける人も多少はいると考える。(私は何とも思いませんが…)(だって、最近はおしゃれでタトゥーをしている若者沢山見かけるじゃないですか?そうした好きでやっている行為が、許されないんでしょうか?)
 でも、入れ墨と公共業務とは何の関係もない。
入れ墨をしているとしても、その人がどんな生き方どんな職業をしていようと、それはその人個人の領域に属する選択で行われていることだ。
「私は、入れ墨は嫌だ、しない、見たくない」という方は、そう出来るよう、今後も暮らしていけば良いだけで、だからと言って例えば市役所にいる刺青を持った人に対して、職場の配置転換や職業そのものをはく奪するような措置が取られたら、それは人権問題として扱われる問題となる。
橋下氏らは、おそらくここんとこが許せないのでしょう。
公務員たるもの、入れ墨なんぞ要れるんじゃない。そりゃーやくざなんぞが好む趣味だ。どうしてもやりたきゃー民間に行って好きにすりゃー良い。・・・おそらくこんな意識と思われる。
 ・・・ここにおいては福島氏が述べているように、入れ墨をやめさせるあるいは刺青をするなら役所の業務につかせないという措置はやり過ぎであり職権の乱用にあたると判断する。

 橋下氏は、やたらと公務員に対して規制をしようと画策するが、何故そこまでこだわるのか?注意をしたり勧告をしたりという教育的な指導という方法も在るはずだ。おそらくそんな生ちょろいことでは、改革は出来ないと考えておられるんでしょう。
 まるでどこかの国の大統領首相を歴任する強権者と同じように、日本でもピラミッド式の強権政治を復活すべきと考えているように思えるが、そうしたやり方は独走という他表現のしようがない。強制的な措置が慢性化すれば、その社会は自由が束縛される制度に築かれた、温かみのない非民主的国家に変質する。規律でがんじがらめに縛られた公務員は、恐らく自由な発想をしなくなるでしょう。上から命令されたこと、マニュアル通りの対応だけが認められ、現実に即した裁量権は現場の職員から奪われ、市民のサービスは形骸化がますます深まっていく・・・
 このような社会形成は、在ってはならないと思う。
 これは、橋下氏を持ち上げ姿勢の頂点に祭り上げてしまった大阪市民の責任でもあるのですが、出来ることもある。それは彼の独走に対して、粘り強く執拗に待った「no」を表明し、勝手な法律づくり条例づくりを許さないことが肝心です。

 
  もちろん、僕は現在の日本の文化政治制度が完璧であると云っているわけではけっしてないのです。むしろ改革すべきことは多々あると感じている。しかし、それを強制力を行使して実行するやり方に違和感を感じる。
 強制力というものは、人権生命の安全が侵される時以外はなるべく使わないことが民主制度の大原則だ。
教育問題で、橋下氏は次々に強制的な教師や職員に対する処罰・規制を強めているが、そんなやり方は、例え彼のやろうとすることが正しくとも許されるものではない。まして、国歌の斉唱や国旗の掲揚に関して、一人一人の国民の主観と感性を尊重することなく一様に行動様式を決め、それを職員にやらせるということは、そもそもの教育政策として足を踏み外している。

 今回、入れ墨問題で橋下氏は刺青をする職員に対する規制と排除を目的とした上からの条例の制定と公務員に対する規制を強めようと画策しているが、それは筋が違う。
 市民に対するサービスをどう進めるのか?そのテーマと刺青問題は、全く別物の問題であることを理解して頂き、頭を冷やしていただきたい。

 橋下氏の政策で、応援するテーマも実はあるのです。
原子力発電の稼働問題では、政府の曖昧な大飯原発再稼働方針に対して、強く反対の意向を貫いている姿勢については大いに賛同するものです。
もちろん関西一円の首長は、滋賀県の嘉賀知事も含めて稼働反対の立場をとり政府に対して考え直すよう圧力をかけているがそれは当然のことです。もし、大飯原発放射能漏れや事故が勃発すれば、その時は単位福井県や近隣市町村だけではなく、関西一円の地域が放射能というとてつもない危害にさらされることになることはあまりにも明らかだ。
 原子力発電の日本での稼働というテーマは、福島原発事故の教訓として絶対に安全かつ環境に汚染事故を起こさないという命題が証明される以外、もう2度と稼働してはならない、それが喫緊の事故による教訓であることを知るべきだと思う。
 原子力発電の功罪については、大きな問題であるのでここでは触れないが、今こそ脱原子力の方向性を政治家や専門職がもっと高く掲げることが必要だと痛感する。

 橋下さん、もっと大人になって、しょうもない刺青規制なんてせずに、もっと教育的な方法をしかるべき専門家に進言して頂いたらどうでしょうか?
どうか、頭を冷やして、行政のトップとしてやるべきことを進めて戴きたいです。