遠距離介護について、考え続けているNPOパオッコをご存知ですか?

 
4日の日曜日午後、NPO法人パオッコさんに招かれて、セミナーの中でケアマネジャーとして発言する機会を持ちました。
今年で、実は3年目になるんですが、遠距離介護について市民活動を続けているパオッコの主催で、毎年東と西でセミナー企画がされています。
 今年は、例年続けてこられた企画を少し変更されて、著名な講演者を呼ばずに手作りで「遠距離介護のセミナー」を進めるプログラムとなりました。大阪会場では、約50人位でしょうか?参加者と約3時間、一緒に遠距離の介護について考え討議する時間を持ちました。

 このセミナーの経済的な支援は、住友生命福祉財団さんがされていて、財団の方の挨拶もありました。会場を借りたり、パネラーをそろえたりする際には、少なからず費用が必要となるので、その縁の下の財政支援として、福祉財団が関わっているというわけです。

 さて、セミナーでは、まず前半ではパオッコさんの代表太田さんから、問題提起がなされ、「一人でいくら頑張っても、仕事を辞めてしまっては親の介護が続けられないのでは?」と発言が投げかけられた。
 続く桶谷さん(労務年金問題の専門家です)からは、「親等の介護の為に、仕事を辞めてしまうと、その後どんな経済的な困難が待っているのか?」具体的に金額試算等を交えて問題提起された。50代前後で今まで働いていた職を退職してしまうと、次に働こうとしても同じ収入条件で仕事を得ることが出来ないどころか、低賃金の仕事ですら、新たに見つけられる保証はどこにもない厳しい現実があることなどが説明された。
 桶谷さんは、結論として、親の介護の在り方について以下のような問題提起をされる。
 とかく我々は親の介護のことになると、世間親戚等の眼が気になり、自分や家族が直接親の介護に携わらないと介護することにならない、と考え決めつけているのではないか?しかし、実は介護というものは直接の介護だけがあるのではない。親に対する遠距離からの支援方法と言うものがある。それはある時は親に関わる介護にかかる費用の算段・計画相談であり、親が納得する形で介護を受けたり医療にかかることが出来る橋渡しを調整することなどが含まれる。こうした親へのサポートは、肉親であるからこそスムースに行うことが出来、なかなか他人では難しい。
親がいくらの年金をもらっており、資産がいくらあるのか?
今後どう暮らしていきたいと願っているのか?
親の自立を考えるうえで、障害となっていることな何なのか?等々。

 太田さん、桶谷さんの話されていた内容は、実はパオッコの理念となっている「遠距離介護の在り方」につながる考え方であり、今後ますます増えると思われる、遠く離れた親に対する介護について、どういう関係を続けることが必要なのか?という問いを投げかけているように感じる。
 
 次に、第2部では、私を含めたパネラーが発言し、現在の日本の介護の現状を確認しつつ、会場からの意見を交えて遠距離介護を軸にして討論を重ねました。
 ケアマネに対して、厳しい意見がもっと出るか?と予測(内心ひやひやものでしたが)していたのですが、大阪会場では比較的おとなしい参加者が多かったせいか?答えに窮するような質問は受けなかった。
 東京のセミナーではかなりのケアマネ非難?の声が上がったそうです。
 介護に悩む本人や家族に、一番近い位置に立つのがケアマネジャーです。それゆえ、様々な困難に立ち向かう場合、えてして帆走するケアマネジャーに対する不信が出てくる。
 もちろん当てはまらない場合もあるが、介護の最前線で苦悶する当事者と支援者の重なり具合は、頗る微妙な関係と言えよう。異なる人格である限り、生き方、価値観、趣向などそれぞれのカラーがある。どの生き方が正しく、または誤りであるかは、当事者以外は決めることが出来ない以上最終的には自己決定の中で進められる。
 

 あっという間に3時間が終わり、セミナーは終了した。
参加者の中には、子供さんと一緒に参加された方もおられ、もう80代に近いか?と思われる高齢の女性の参加もあった。
それぞれが、その日の討議について感想がもたれたと思われるが、実際に親の介護で悩んでおられる女性から、会の後に質問等も受けた。(きっと、これだけは聞いておきたい問題を抱えてこのセミナーに参加されたのでしょう。)・・・とても、短い時間に質問に対して適格に答えることは出来なかったが、疑問に感じられている課題に対して、小さなポイントとして考え方の助言は出来たように感じる。
 
介護の実際の現場では、もっとドロドロとして、激しい不安や悩みが渦巻いており、綺麗事で済まされないことが沢山出てくる。
 そんな中で、自分の親兄弟の介護に直面した者しか理解できない苦しさ、これについては誰も変わることが出来ない。
 それは、経済的・身体的負担に加えて、精神的な負担も半端ではない。
一人で抱えられるものじゃないことは明らかであり、まず大事なことは介護に関わる支援のネットワークをどう築いていけるのか?が重要だ。
 加えて、経済的負担も又、支援する子供世代や家族負担を大きくする。
とても、昔の様にその家族だけで、嫁だけで親等の介護が成り立つわけがない。
 こうして、介護の問題は、介護保険が生まれて12年が経つが、まだまだ社会的介護の問題としては解決の仕組みが出来上がってはいない現実があることに気付かされる。
 もちろん、介護保険サービスや、行政の福祉サービスをうまく組み合わせて利用することにより、ある程度の介護の社会化は実現しつつある過程であることは事実だ。
 しかし、制度と言うものには沢山のひずみがあり、一つの具体的福祉施策ともう一つの施策との間にバリヤーが存在することが多い。
制度と精度のはざまで、落ちこぼれている人々、顧みられず、疲弊している人々が沢山居ることを現場を見れば少なからず発見することが出来る。

 行政や包括支援センター、介護事業所や施設ではカバーしきれない多くの介護現場で、いったい何が問題なのか?もっと明らかにされていく必要があると思う。
 社会の仕組みとして、市民の組織の中から、そうした問題に対してアクティブにかかわっていく組織づくりが望まれる。
 インフォーマル支援が、確実に、もっと日本の社会に根付いていかない限り、これからの超高齢者社会は、先が見通せない。
この意味で、パオッコのような組織がもっと大きく育っていくことにエールを送りたいと考えている。その為に、自分が少しでも役立つことが出来るなら、今後も協力をしていきたいと思う。
もちろん、自立した高齢者の役割もまた重要であり、老老介護は避けられない。テーマは、「病気や障害があっても、どれだけその人らしい暮らしが、その社会で受け入れられるのか?」と考える。

 昨今の政治の分野では、近いうちに総選挙の時期が迫っていることもマスコミで取り上げられており、民主党政権からどういった政権へ転換していくのかあ?不安を持つ。・・・この場で政治論議をするつもりはないが、どの政権になろうと、介護の分野では予算として厳しい制約が課せられていくことは間違いなかろう。現在のような経済情勢の中で、介護だけが突出した税金が注がれる政策は困難なことは明らかだから。
 でも軍事予算だけは、もっと削れるはずだ。軍事予算は、人間社会最も無駄な支出ではなかろうか?それを互いの国家が無くすことで、いったいどれだけの福祉施策が生み出されることか?!これこそ、真の「積極的平和主義」だと思う。
 
 ケアマネジャーに期待される役割もまた、ますます大きな課題が求められるだろうが、制度の見直しは慎重に議論を尽くして行って欲しい。
 ケアマネジャーの意見もしっかり聞いていただき、専門家の意見だけに偏らない意見集約をお願いしたいと思う。その意味で、現場のケアマネの声をぜひ、反映した制度構築をお願いしたい。

 日本だけじゃなく、その後には韓国や中国も又超高齢化社会を迎えることになる。いわば、ほとんどの国がそうした世代の入れ替わりの中で超高齢化社会と向き合うことになる。
 だからこそ介護の問題は、一つの国の在り方と言うよりも、これからの人間が生きていく、社会の中での共通したテーマであることを確認したい。
 当事者だけの課題ではなく、全ての人が自分の問題として介護の在り方を考え協力していく姿の中に、本来の社会的扶助の在り方が浮き彫りにされてくると信じている。・・・きっとそれは、長い時間をかけて出来上がっていく仕組みであろう。一人の、リーダーや賢者が作り出す制度ではなく、社会における市民の成熟の中から生み出される知恵として、支え合う在り方が形成されていくのではなかろうか?

↑このスナップは、11月10日朝に撮ったものです。殆どの朝顔は終了して片付けたのですが、この茎の先には、ほら未だ花が咲くんです!
ちょうど日当たりが良い場所に置かれているので。
やっぱり、植物にとって最高の環境として、採光が確保できる場所って必要かつしぶとく花を咲かせるんですね?