ある息子さんの来訪に思う。

一昨日の夕方遅く、ある男性が事業所の扉を開き、訪問されてきた。
こちらは、スタッフの退職等2月末で「大変動」が起こることに対して、あれやこれやの対応に終始し、事務所で一人残務整理をしようとしていた時でした。
 来られたのは、昨年秋に病院でお亡くなりになった、以前の担当利用者の息子さんでした。・・・どういう用件か?お尋ねすると、「お葬式の時、来て頂いて有難う御座いました。本当はもっと早く挨拶に来なければいけないのですが、気持ちの整理が出来なくて今日になりました。母のケアマネジャーさんとして、良くして戴いていたのに、失礼なことを云ったりして御免なさい」とぺコンとお詫びの言葉を述べて頭を下げられた。続けて「母が亡くなってから、病院に入れたのは間違っていたのか?あの対応がなければ、もっと母は長生き出来たかもしれない?とと自分を責め、悔いが残りました。ケアマネさんに対しても、偉そうなことを云い、母が亡くなった後で自分のやって来たことが其れで良かったのか?未だに後悔が残っているんです。」
 
 このケース背景を伝えるため、少し説明しておくと、昨年初めあたりから息子さんが利用者の年金通帳等全て一方的に取り上げてしまい、利用者には最低限の生活費を日銭の様に与え、利用者の生活意欲を潰してしまわれた経過があったのです。80代の利用者は、昨年初めまでは一人で生活のやりくりをされていた。少し、認知症上は認められましたが、歩きづらい足腰の障害にめげず、自分が好きなものを購入し年金を自分で出し入れして暮らされていたのです。しかし、入院が何度かあって、その関係で家族が利用者の通帳を預かり、退院後もずっと取り上げてしまわれた。・・・うわべの口実は、「本人に管理能力がなく、騙されたりとられたりする危険があるので、僕が預かっている」ということでしたが、事実は利用者がいくら通帳を返して欲しい、残高がどうなっているのか?問いただしても見せることなく勝手に金銭管理を息子さんがしていた経過がありました。
 利用者は毎月の訪問時にいつも嘆いていました。「息子は、私の年金を使い込んでいるかもしれない。私の名義の年金だから、私がどう使おうと自由なのに、どさくさに紛れて取り上げてしまった。悔しくて、それを思うと生きている張り合いが無くなりました。いくら戻してくれ!と言っても返してくれないし、もう、こんな生活生きていても意味がないし死んだ方がましだと思うんよ・・・」こう話しては、自分の思いを吐き出される話を何度も聞かせてもらいました。
・・・ケアマネが利用者の話を聞くのは、毎月モニタリング訪問時ですが、そのたびに、「希望は捨てたらあかんよ。僕ら介護のスタッフはあんたの見方やで。お金のことばかり考えても暗くなるから、ディサービスなど楽しんでや」と声掛けしたことを覚えています。

 経済的虐待に当たるのでは?と心配し、包括センターも巻き込んで区役所の係りと面接をしたこともありますが、結果は「虐待とは認定できない」と判断されました。その根拠として利用者が息子を告発するまでに至らず、家を出て保護を受ける求めもなかったからです。加えて、日常の食事や見守りを最低限はなされていると判断されたからです。
 しかし、事実は、利用者の一番大切な年金手帳を一方的に取り上げ、経済的虐待が利用者の意欲を奪い、うつ状態に追い込み、自活して暮らしをしていく力を奪っていった経過がありました。・・・この経過は、毎月訪問するケアマネジャーが知っているんです。

 息子さんが来られた時、頭を下げて「後悔が残りました」と語られたとき、追い打ちをかけて、過去の対応を責めることは出来ませんでした。
 「あなたも、精いっぱいのことをされたのだから、お母さんは喜ばれているんじゃないですか?」と言葉をかけました。
 「これから、介護のこと、いろいろ教えて下さい。」と話され、現在も介護施設で仕事をされていることを聞き、何時か、きちんと話をする時が来るだろうと考えています。・・・その時は、あいまいにすることなく、経済的虐待のことを伝えていこうと思う。その時、しっかりケアマネの話を受け止められたら、息子さんの後悔は本物だと思うのです。
 
 何だか、心が少しほぐされたような気持ちになっています。
もし、息子さんが、自分がしてきたことについての反省がなければ、恐らくわざわざ元ケアマネの事務所に足を運ばれることはないからです。
亡くなられた利用者も、きっと見守ってくれているように思います(やっとあの子も、分かってくれたんかな?自分のしてきたことを。今度は、仕事で相対するお年寄りのことを、わたしに対することと思って、あんじょうしてくれたらそれで良いわ、自分の子やもん、分かってくれたらそれでええ。)

 やっぱり、生きている間に、気付いてもらえたらなぁ。
利用者が亡くなってからじゃ、人生巻き戻せないしね。

でも、人間、相手が亡くなってから気づくこと、ほんとに多いよね。
人間の至らなさと、愚かさ、でも、真実は何かを、いつも追い求めているんです。

さて、息子さんと、末永くお付き合いできる繋がりを作っていけるでしょうか?
其れには、一つ山を越えなければならないことを、今利用者の言葉を思い出しながら、痛感するのです。