2015年 大阪でのパオッコセミナーにて


→10月初め、藤原京跡にて撮影。早朝6時過ぎです。沢山の、おじさんたちが朝日と山の風景を撮ろうと陣取っていました。

開催日:
平成27年10月24日 土曜日

1・セミナーの外観概要
2・ポイント
3・意見と主張
4・期待とこれから

1・パオッコのセミナー2015が、18日大阪で行われた。
私は、今年も大阪会場でのセミナーに呼ばれ、第2部のアドバイストークで発言をさせていただく機会を得た。今年で6回目の登壇です。
 ちょうど、自分が開設した居宅介護支援事業所も6年目に入っており、年月の経過を感じる。
でも、今年のセミナーは、今までの経験と比べて、特に内容レベルが高いものとなった気がする。では何故そう思うか?以下にまとめてみた。
2・一つは、第1部の外岡潤さんの講演と連動して、2部でのテーマ設定がわかりやすく企画され、まとめられていたことがある。お二人の体験談(パオッコ会員)の紹介とアドバイススピーチ、という形で問題提起がなされ、それに対して会場からも意見発言が求められた。事前の質問集約と当日発言を受け止め、それに対する意見交流がうまく機能したことがあげられる。
 とりわけ印象深い体験発言が関東在住の男性介護者からあり、「精神科病院に母親を入院させる他方法なくなった現在進行中の体験」が話され、会場はシーンと静まり返った場面となった。
 司会者が私の方に助言発言を求められ、こちらは緊張モード120%。でもそこからは自分の出番なので、臆することなく話し出していた。
「勇気を持って体験を話していただきありがとう。
家族で悩み、本人のことを考えて入院とされた判断は、誰が間違いと言えるでしょうか?その判断に不安を覚える必要はないですよ。
治療の時間−それは長い期間を要するかもしれないがーその時間がたてば、母君は病院から自宅に戻れる時が来るでしょう。そして、そのとき当人は、理解しておられるはずです。…家族は私のことを思って入院という対応をした。確かに私はその時辛くて家族を恨めしく感じたこともあったが、今はそれが間違いであったことが分かる。息子をはじめ、私を支援する人たちが、私のためにやってくれた。そのことを感謝したい…と。
ですから、あなたが心のどこかに後ろめたさの様なものをお持ちでしたら、その心配は無いということを言わせていただきます。」
 大体このような助言をさせていただいた。
 でも、その後会場の1女性から、さらに強い応援の言葉が寄せられた。その発言の要旨は、以下の内容でした。
「私も数年前、先ほどの発言者と同じような体験をしました。家族内で精神的な不安を持つ者が出て、自宅で包丁を振りかざすこともあり、悩んで主治医にも相談し、母親を精神科に入院させた。その時は心が痛んで不安が大きかったが、それから治療の効果が出て親は回復し、自宅での生活が再開した。今は本人も落ち着き家族も普通の生活を取り戻した。精神科に入院させたことは、結果として最善の策だったと考えているし、その時点では他に方法はなかったと思う。自分一人の判断だけではなく、支援する人たちや主治医の意見等も考慮して、親を入院させたこともよかった。だから、介護する側はそんなに入院に対して罪悪感を持つ必要はない。その時、他に方法がない場合は医療処置により回復が出来ることがある、今はそのように考えています」等々。
セミナー参加者のこのような発言には、私も大いに感心させられた。
準備していえる発言ではないし、その時の流れで、発言された女性は勇気をもって助言されたと思う。
 私なんかの話より、よっぽど彼女の話の方が重みと真実味があると感じた。こういうサポーティブな対話がなされたことにより、この日のセミナーの価値が、一気に高められていったのです。
3・私は、昨今、介護が次第にマスコミで取り上げられていることで、情報としてはより多くの考え方が一般市民に提起され始めている意味では、その流れを歓迎するのですが、一方では、中身が伴わない「事件簿的な情報」があふれていることに危惧を抱く者です。
 それが近場の親の介護であれ、遠距離の親の介護であれ、どのように問題に対して向かい合えば良いのか?という悩みは、昔も今も変わらないと思う。
しかし、大きな特徴としては、現在の日本が置かれている状況が、世界でも類を見ない「超高齢化社会での介護問題」として出現していることに注目していきたいということです。誰も経験せず、今までの判断軸では対応が難しい課題が山積み、その介護をテーマとする問題は、今後ますます深められ研鑽される必要があるのです。
 人が生まれ、育ち、社会で働き年老いてリタイヤする…それは自然の成り行きです。
一昔前は60数年で終わった人の人生が、今は90年近くの時間的経過を要する人生のプロセスとなり、その間をどう過ごしていけば良いのか?誰も正解を持ってはいない。しかし、一人一人の人生は、法律が決めるのではなく、他ならぬ自分が決めるものであるなら、どう生きるのか?というテーマの骨格に、必ず介護の課題が含まれているはずです。
 体は衰え、やがて朽ちてゆくことは避けられない。それは命あるものの宿命ですが、どう意識的に老後を迎え過ごしていくのか?について、もっとスポットライトが当てられねばならないと思う。
老後が、枯れゆく影を伴うものというとらえ方が一面的であるとするならば、若さと美は対立するとは限らず、年老いても美しいものがあるのでは?
ではそれは何か?「肉体の表・裏、精神と魂に宿る繋がり」と言えるかもしれない。今後の介護問題は、人間の生命観、生きる意味をどこに見出すのか?という人生観・人間観と合流する。その社会が、どういう人を育て、見送っていくのか?どういう文化を育むのか?により、その社会の成熟度、価値観というものが推し量れるはずです。
日本の社会が、他の国々に発信できる介護情報をさらに強く伝達していくことのポイントは、そこにあると思う。「老年学」とも呼ばれる領域が、大きな注目を集め影響力を持つ流れになるはずです。市民意識を高めて、介護に関するレベルを引き上げることで、若者を育てることも叶うはずです。
 確かに、日本の現状は、理想とは程遠いかもしれない。しかし、介護の現場での現状を打開するのは単なる公的なサービス・制度の量ではない。
 ハードの部分とともに、市民の意識もまた進化する必要があるのではないか?そんな風に思うのです。
その為には、議員さんたちや学者さんたちの、テーブルで複雑な仕組みが取り決められることよりも、介護の現場と、専門職や介護の当事者の意見がもっと奨励され尊重され、生かしていける仕組み作りが必要と痛感します。

 パオッコセミナーが、今後も、市民の新しい情報を提供し、相互交流を促すものとして、さらに活動を続けていただくことを応援していきます。

ケアマネリング港合同会社 代表社員 主任介護支援専門員 白戸 望

10月になっても、時々、遅植の朝顔が花を咲かせています。