マイナスイオン的生き方とは?

世の中、成功される人は一握り、失敗する人は数多居られる。競争に勝った人は、様々なコメントを膨大に残し、敗れた人は,ただ背中を見せて何も語らず去ってゆくだけ・・・此れが、大体の世の中の常とされているかもしれないが、ちょっと待って欲しい。上手く希望が適わなかった人にも、沢山の経験が記されている筈。その経験は、後々の人にとって、重要なコメントとなるものです。
叉、失敗した人が、次のステップを踏んで行くときの大事な資料となるものです。・・・一度負けて転倒しても、叉立ち上がって、進むことが出来るものです。其の時、残しておいた記録やまとめなどが、大いに役立つ筈。勝ち組みだけが結果としての勝利を自慢するのではなく、上手くいかなかった人たちの経験が加味されてこそ、成功の評価も存在価値があると思います。この意味で、世の中、成功した人達の自慢話は多いけど、認められなかった人達、社会の表に出られなかった人達の存在が蔑ろにされている。これは肯けないよ。

スポーツの世界では、良く云われている。"結果が全て" "負けたら、何を云っても後の祭り" "勝負に拘れ!"等々。しかし、一方では、スポーツ精神は、過程を楽しんで、結果に心を奪われるな。じゃなかったんですか?・・・何か好く判らない。勝つことに拘るべきか、拘らないほうが良いのか?楽しむべきなのか、勝負の鬼となるべきなのか・・・此れは、何時まで経っても、このテーマは終わりがないようです。オリンピックなどでも、参加することがオリンピックの精神なのに、いざ出場したら、『ニッポンチャチャチャ』とか云って、勝つことばかりが強調されすぎる。好い加減静かに競技を観させて欲しい、と感じた方は多い筈。日の丸の旗を靡かせて、感激するより、故郷のお母さん、御父さん、有難う!と叫ぶほうがよっぽど素直だと思う。元々、スポーツで、勝負を競うことと、楽しむ事とは、別のものとして存在するのかもしれないし、両者を折り混ぜて、それぞれの人なりのスタンスで考えてゆけば良い、と云うことか・・・
少なくとも、大事な事は、世の中の表に出ない、人間の声を聞き分ける耳を持つことだと思うのです。巷に溢れる、華やかで、華々しく彩られていることではなく、ささやかでも、何処かでひっそりと生きている人間の声が在る筈だと思う。身に付けたいのは、そうした声をいろんな場面、いろんな場所で目に留めて聞き別ける自分でありたいと思います。プラスイオンばかりの中で暮らすと、必ず病的な心が育ってしまうものです。同じカラーを押し付けられる行き方はゴメンです。マイナスイオンも、正当に評価出来る社会にしてゆかねばと思う此の頃です。