介護の専門性とは何か

 

書籍名   :介護の専門性とは何か  

カテゴリー :評論・エッセイ    

著者名   :三好春樹  

発行年   :(西暦) 2005  

出版者   :雲母書房  
著者は、介護の専門性と言うものが、「生活の活性化」にあると主張する。元々生き生きとしているはずの生活が、本来の生き生きさを失っている現実と、とりわけ障害を持ち、痴呆を持ったお年寄りがどういう過程で生活の活性化を取り戻して言ったら良いのか?というテーマを問うている。ここで、問題となる事は、こうしたテーマを阻害する要因を解き明かしてゆく事にある。三好さんは、長年の介護経験から高齢者が抱えている障害を在宅生活の中で如何乗り越えられるか?と云う問題ではなく、その障害を持ちつつも普通に暮らしてゆける方法を見云いだそうとしている。障害を無くすことは出来ないし、麻痺してしまった体の機能を再生させることは誰にも出来ない。そうではなくて、麻痺や障害を受け入れて残っている機能をフルに使って活かしてゆけば良いと説いている。



レヴィ=ストロースという文化人類学者が、「ブリコラージュ」という概念を発表している。この手作りと言う言葉が介護の世界でも盛んに使われており、この言葉はサイエンスと対になった意味を持つに至っている。

これからの介護は、アートとして如何関わってゆくのかが求められている、と云うと「なるほど」と頷けなくも無いが、何か抽象化されてしまったような気もする。

専門家が如何位置付けようと、介護と言うものが大量生産されないものであり、一つ一つのそれぞれがかけがえの無いものである事は頷ける。



介護保険が出来て6年目、果たして日本の介護の現状は、理想とする方向へ向っているだろうか?一つ云えることは、画一的な限度支給額やサービス体系のプラン化が問題ではなく、その人一人一人に寄り添ったブリコラージュ(手作り)な触れ合いが求められているということではなかろうか?

心が通っていない、形だけの関わりは無味乾燥な代物であり様々なストレスが発生する。考えてゆかねばならないことは、それぞれの介護者・援助者が、充分に能力を発揮できる労働環境と職場環境を整備することだと思う。劣悪な労働環境をそのままにしておいて、スタッフだけに献身的なサービスを要求しても、それは筋違いと言うものだと思う。