私の幸福論

 

書籍名:   私の幸福論  

カテゴリー: 評論・エッセイ    

著者名:   日野原重明  

発行年:  (西暦) 2005  

出版者:   大和書房  

値段:    1000-1500円  

投稿日時:  2006/01/17 22:41

本のサイズ: B6版







老いて益々盛んなり。日野原さんに対しては、畏敬の念を誰しも上げたくなります。

94歳を過ぎているというのに、現役の医師として仕事をされ、尚且つ、一日5時間の睡眠で、全国150箇所を、毎年駆け回って講演活動を行っておられる。

夜は執筆活動を続けられ、必要ならば徹夜も遣られることがあり、それでいて、体がばてる事もない。こうした、疲れ知らずの氏の活動の源泉はどこにあるのだろうか?

人生の中で、数々の輝きを持てる人は、それがそれぞれのバイタリティーの源泉となると言われる。

一文の中で、こう云われている。「最も辛いときに、自分の記憶の奥深くにあるそうしたきらめきを宿した時間を引き出してこられたならば、きっと前へ一歩を踏み出す力が湧いてくるでしょう。」



今から70年ほど前、日野原さんは、京大に入学して2年目を迎えるところで、結核の病に取り付かれたことがありました。彼は、自分の体が自分の一部ではないかのように、殆ど寝たきりの半年以上を送ったのです。大学の休学届けも出して、ご両親の必死の看病もあって、彼は九死に一生を得ました。母親は、彼のベットの床に布団を敷き、彼が熱で 魘されるごとに夜を徹して起きて介護を続けられ、最後まで病気が治ることについては、希望を失われることがなかったと言う。

病室で、約半年にわたって、彼が見てきたものは、死の世界を垣間見た、自分自身の姿でした。病魔と闘いながら、彼は母親の献身的な介護により助けられたのでした。

来る日も来る日も、窓の外の風景を眺め、青年日野原氏の心は荒んでいたのです。・・・しかし、彼は、再び大学の教室に立つことが出来ました。

死の淵からユーターンして、学生生活を送ることが出来たことを、どれだけ彼と、彼の両親が喜ばれたことでしょう。・・・こうした体験が、以降の医学の道を歩む彼に大きな影響を与えました。



また、第3章の「転機の訪れ」では、39歳になって、初めて米国に留学したころのことが書かれております。

ペンシルベニア大学循環器科の主任教授の回診に同行したときのことです。

ある病室に、主治医の後を追って入ったときのことです。

見知らぬ人から、こんな囁きを聞きました。「ドクター、あなたはどうして、しかつめらしい顔で、私を見るのか?」と。これを聞いた日野原さんは、ドキッとしました。自分がそんなにも難しい顔をして病室を歩き回り、周りの患者さんから変な目で見られていたことを。・・・主任教授は?と言えば、普段の教授とは思えない、明るい話し声で、精力的に患者さんたちとコミュニケーションを取っておられたのです。

・・・このことがあってから、著者は、初めて、自分の医療に対する姿勢に、大きな落とし穴があったこと、今後は、気難しい顔で患者さんたちに対することなく、笑顔を持って面談する自分であろうと転換する。この転換は、その後の彼の生き方にも大きな影響をもたらすことになりました。



こうした、彼の生き方を大きく転換するきっかけを作ったものが、あの米国での留学時に体験した出来ごとであったわけです。

日野原さんの人生論を通して、私たちは、大きな人生観に出会うことになる。老いを深めるごとに、益々自由に活動されている氏の原動力が何なのかを、しっかり学ぶ必要があると思います