歴史を捻じ曲げようとしてはならない。

歴史教科書改訂問題で、明らかになっていることは何か?一体、誰が沖縄戦の真実を捻じ曲げようとしているのか?15万人の民間人が巻き込まれて殺戮された歴史の総括を、そこに日本軍の関与があったことを薄めようとするどんな見解も認めることは出来ない。



戦陣訓の中で書かれているように、日本軍の考え方には「敵の捕虜になってはならない、それは恥以外の何物でもない」、と繰り返し教育されてきたのです。

これは、戦争に動員されれば、命を賭して戦争のために死になさいと命令していることです。…生きて、家族のもとに帰ることを戒める考え方は、当然特攻隊に示されているような、現在で言われる自爆攻撃を正当しする考え方です。これは当然、9・11のテロ攻撃の考え方と同じ思考パターンであり、こうした「攻撃型の戦闘行為を美化する思想」は、昔から日本にも存在していた。



沖縄線において、米軍に追いつめられる日本軍が、少しでも本土決戦の時間稼ぎを行うために、沖縄人民を巻き込み非戦闘員を戦争犠牲に多数巻き込んだことによりこれだけの犠牲者を出してしまったことは、根本的に、一点の誤魔化しもない事実である筈です。



ところが、日本政府と文部省、それから好い加減な学者たちは沖縄戦の記述に伴う編集過程で、旧日本軍の責任を回避し薄めてしまい、軍の責任を軽くする記述改悪を狙って教科書改訂をしようとした。



今回、11万人の沖縄の人達が立ち上がって、「教科書記述改悪」に反対し、軍の関与を認めるべきであると主張して立ち上がったことは全く当然のことです。

沖縄の怒りを受けて、ようやく政府も記述改訂に「待った」をかけ、当時の軍関与の表現を復活させる方向に“改訂の改定”が行われようとしている。・・・何たるその場しのぎの失態か?責任を明らかにすべきなのは政府です。



好い加減な政府自民党と教科書改訂を指示する文部省の責任は重いが、この問題は戦争の軍の責任をはっきりさせる上で非常に重大な問題を含んでいると言えよう。



好い加減にしてはならないこと、それはもう2度と戦前の軍部の戦争遂行体制に戻ってはならないことと、かっての誤りを後世語り続けてその責任を明らかにしなければならないことです。

天皇陛下の為に、庶民の命を捧げることが当たり前であり、訳の分からない「国体」維持の為には民間人の命はどれだけ犠牲になってもかまわないという思想・・・こうした天皇制絶対主義を、もう2度と復権させてはならないことを確認する必要がある。



今後の若い世代に、真実の戦争の歴史を伝え、近代の歴史過程においてどういう過ちが繰り返されてのかを学んでゆく意義は大きい。

この意味で、歴史教科書の記述に際しては、真実が語られる必要があり、今回それを捻じ曲げようとした教科書改訂に対して沖縄の人達がそれに反対し立ち上がったのです。



改訂反対の沖縄の運動に賛成する意味でも、今後の教科書改訂問題を、しっかり監視していく必要があると思います。



旧日本軍の戦争責任をあいまいにすることは、あの戦争そのものの実態を変質させることに繋がる。・・・

多くの人は、2度とあのような絶対主義的な軍国主義の復活を望んではいない筈なのに、何故軍の戦争責任を消し去ろうとする流れが頭を擡げてくるのか?20世紀の戦争妖怪を、復権させてはならない。教育と文化の中に見え隠れしている怪しき動きを、細心の注意を持って告発すべきです