ベトナムのベトさん死亡について。

米軍のベトナム介入戦争により、有害な枯葉剤が大量にまかれ、植物に毒物作用を起こし、死滅させ草木の生えない土地に変えてしまう枯葉剤。この薬剤は、いまだに多くの後遺症を起こしていることを無視出来ない。・・・もちろん、この責任は、危険な薬剤を多量に散在した米軍にあることは否定しようがない。



ベトナムでは、現在も薬剤によるとみられる副作用と後遺症に悩む人たちが沢山いると言う。

先日報道されたベトさんの死亡のニュースは、日本の支援者たちにもおなじみの人物であっただけに悲しい報道となった。

弟のドクさんは、不自由な体ながらも兄よりも健康な体を引き継ぎ、ベトさんの分まで今後も強く生きていこうとしている。



仕事や結婚も経験し、ドクさんは社会活動が出来たが、ベトさんの場合は重い脳症を患い、亡くなるまで病院から出ることは出来なかった。26年間の生活といっても、弟と分離してからは、ほとんど寝たきりの入院生活であった。

ドクさんにしてみれば、兄は自分たちの障害の重い部分を一手にひきとり、自分だけが曲がりなりにも自由に活動できるようになり、常にベトさんのことが心に残っていた。謂わばベトさんはドクさんの分身でもあった。



ベトさんとドクさんは1981年、同国中部で、下半身がつながった状態で生まれ、88年には分離手術を受けて切り離された。手術は成功しドクさんは元気になれたが、ベトさんの方は重い障害が残ったままだった。

彼ら二人の誕生は、ベトナム戦争による枯葉剤の影響であることは広く知られているが、その因果関係はまだ解明されていないようです。

本来ならば、米国が医療費も含めた彼らの治療に対して保証と支援を行うことが求められるはずだと思うが、果たして米国はどれだけの援助をしているのか大いに疑問だ。

日本もベトナム戦争で、米軍機が沖縄にて爆撃発信することに協力した責任がある。

当時の政権は、米軍の軍事活動に対して、間接的な支援を行っていたことは明らかであり、当時反戦運動が高まった根拠となっている。



あれから35年の歳月が過ぎているが、未だにベトナムでは、枯葉剤の後遺症に苦しめられ、多くの癌などの病気に悩まされている人たちがいることを忘れることは出来ない。

戦争は、当時の惨状による被害者だけではなく、戦後何十年とたつ現在も未だにその後遺症の被害に苦しめられている現実がある。こうした、恐ろしい薬害の恐れがある枯葉剤などを散布した米国の責任は、現在も強く指摘されなければならない。また、その被害に対して救済措置を講ずる責任がある。

米軍は、新たにアフガンやイラクにおいて派兵作戦を展開しているが、勝手のベトナム介入における被害に対して、きちんとした被害責任を果たしていないことを忘れてはならない。



今回のベトさん死亡の報道を受けて深く考えさせられたことは、近代の戦争というものがいかに多大な傷跡を相手国家人民に負わせているのかを思う。

・・・その戦争を有利に導くためには、どんな被害が相手国に与えられようともかまわないという考え方こそ、こうした非人道的な兵器が開発される根拠となっている。

核兵器に表現される大量破壊兵器はもちろんのこと、化学兵器なども多量に開発されており、現在の軍事用兵器の恐ろしさは底がない。

戦闘員だけの被害ではなく、国家に生きる人間・生物が存続できないような被害をこうむる兵器開発がなされている。これは行き着くところは地球そのものの破壊に行き着くだろう。



戦争を教訓として、二度と人と人とが殺し合わなくて済むような社会を、私たちは建設していきたい、そういう決意を再度確認していきたいと思う。