no19長谷川和夫さんの講演「認知症への上手な関わり・・・」について。

大阪市で行われた、ケアマネ協会(社団法人)総会と、それに続く、特別講座に参加してました。<介護支援専門員協会で、社団法人化しているのは、大阪だけだと言うことです。>

長谷川さんの講座については、既に聴講された方も多数居られると思いますが、少し話させて頂きたいと思います。



長谷川先生と言えば、所謂"長谷川式簡易知能評価スケール"の開発者として、一度は其の名前を聞かれているとは思いますが、今回は、其のスケールについてでなく、認知症の事についてお話頂きました。



まず、お話の中で、一番大事な認知症患者への態度として、「不安の解消」と言う事を話されて居りました。如何に、援助する側が、利用者にリラックスして頂き、普段のままの利用者のあり方を認め、対話してゆけるのかが、テーマとなる、事を云われていました。

この事がキチンとされないと、初めのインテークにて躓く事になります。

利用者が、援助する側の人間を、敵ではなく、自分を支えてくれる人間であると認めて頂く事、此れが、まず最初にクリアしなければならない仕事といえるのです。



逆に、初めのインテークにて躓いてしまうと、もう、どうにもなら無くなり、信頼関係は築けないと云えるでしょう。



だから、認知症の本人との話し合いは、慎重に設定される必要があると思います。間違っても、家族の仲から、"この人は、最近ボケが酷いんです"といった中傷が発言される事の無いように、又、例え、発言されても、ケアマネとして、それを否定する(利用者を守る)立場に立つことが必要なのです。ケアマネが利用者の側に立っている事が分かれば、おのずと利用者の方も段々胸を開く事になるはずです。警戒心が薄れてくれば、心の垣根を取り外して、会話してゆく事が可能となるのですから。



そこで、長谷川さんの経験談を伝えましょう。長谷川さんのお父さんは、認知症になられて、約6年間の闘病生活の後亡くなられたとの事でした。

83歳頃の事、家族が一同に食事の会をした時の事です。

突然お父さんが呟かれたのです。「俺は、あなた達が誰なのか分からない・・・」と。

回りの皆は唖然とされたそうです。そして、長谷川さんの方に、家族みんなの視線が集中し、彼は、何を言って良いか言葉に窮したと言われていました。

考えても見ましょう。何時も病気のお父さんを気遣っている家族の前で、いきなり、「あんたら誰ですか?」と真顔で言われたら、それは動揺してしまう訳です。

当惑する長谷川さんを気遣って、娘さんが言われたそうです。「私達は、お父さんのことを皆よく知っているんです。皆あなたの事を気遣っているんだから、何も心配する事は無いですよ。」と。



この一言で,お父さんは、ホッとされたようです。その場の雰囲気も普通どうりに過ぎて行ったようです。



この話をされて、会場の誰もが、利用者を安心して頂くことの大切さを大変判り易く理解する事例を知りました。きっと、長谷川さんも、自分の家族との体験を通じて、この事を腹に落とされた事だと思います。



得てして、身近な問題ほど、客観的な見方が難しくなり感情面での制御が難しくなり認知症との冷静な対応が出来なくなるものだと思います。こういう時は、知識が如何のこうのではなく、人間として如何生きていくかが問題となるのです。

そうなんです。認知症の利用者さんとの関わりのなかで問われてくるのは、人間としてどう云う付き合い方をするのかを、しっかり相手の目を見て話すことが大切なのです。



長谷川さんは指摘されて居ました。「認知症とのお付き合いは、人間としての大切な部分でのふれあいに携わる仕事である事を自覚することだ」と。

確かに、物事を認識する事にかけては、其の能力を失いつつある人とはいえ、其の人本来の人間性は、必ず持って居られると言う信頼こそ、一番大切な、その人らしさへの、働きかけであり、"人間としての尊厳"を尊重する事なのだと、判りました。



なかなか、実際のケアーに携わるものでも、ここまでの根本的な自覚を持てないものです。忙しさや、人間関係・仕事関係の煩わしさに感けて、得てして関わりの基本を見失う事となるのです。



今日の講演のなかで、この一番大切な認知症ケアーの根元を、話して頂いたように思います。

今回御紹介したお話以外にも沢山のお話をお聞きしました。それに付いては、又、それぞれの機会に実際の後援をお聞きに行かれる事をお勧めします。