no20生活援助の位置付けと、機能向上リハビリについて

24日付のA新聞の"私の視点"欄で、今春の介護保険改定に寄せて、井上由実子さんが意見を載せていた。



厚生省が行おうとしている"家事援助の削減"案に対して疑問を投げかけ、高齢者の"IADL”を支える生活援助の見直しと必要性を訴えていた。一元的に、要支援や、要介護度1のお年寄りに対して筋力トレーニングをメニュー化する事の、疑問を持っている現場サイズの専門家は多い。では、それだけの反対がありつつ、何故、政府は、今度の改正の中にサービスの制限を盛り込もうとしているのか?ここのところが問題である。



あえて言っておけば、筋力トレーニングなどのリハビリメニューが増えること事態は、選択肢の一つとしては歓迎されるものであるが、それが、強制的な指示として出てくる背景が問題となる。



今回、改正の背景には、財政的な建て直しの問題が前面に出されており、要するにサービス需給と、保険金の負担のバランスが崩れている事の問題と言える。

如何したら、サービスの絶対的需要を節減できるかと言う問題が、お年寄りのトレーニング=体育運動による健康復帰へ結び付けられている。考えて見れば、健康なお年寄りが増えれば、介護を受けるお年寄りが減るはずであると言う考え方は、間違ってはいない。健康なお年寄りが増えれば増えるほど、医療費事態の削減に繋がる、という定理と同じである。

しかし、健康な人間を如何増やすのかと言う問題は、単に、お年寄りに対する筋力トレーニングと言うものに矮小化されているところが問題である。御年寄りに限らず、全ての日本に住む人たちが如何にして健康を維持し、健全な心身を保ってゆけば良いのかという問題から導き出される回答が必要と思う。こうして問題を立てれば、既に人生の後半期を向かえている御年寄りに対するリハビリの遣り方には、おのずと御年寄りの特性を踏まえたメニューとならねば可笑しい。叉、様々な障害と疾患に侵されている要介護度者の病状にも、当然配慮されたメニューとならねばならないはずである。これは、医療的な見地からの判断が必要となりリハビリテーションの指導が、現在よりももっと強化される必要性が出てくる。こうなると、運動量の不足と言う問題ではなく、リハビリの内容と計画性・継続性をどうして保障してゆくのかというテーマが語られる必要がある。

若いときのように、運動すれば、どんどん骨密度が上がり筋力もアップすると言う訳ではない。高齢者に見合った内容のリハビリ計画が必要となる。



私は、リハビリの専門家ではないので、これ以上のリハビリ論はこの場では控えたいが、注文したいことは、楽しいリハビリ計画が必要である事を挙げたい。苦しいだけの、気力ばかりが要求される訓練では、マイナス効果が心配される。例えば、快適な音楽と雰囲気の中で、気持ちもゆとりが感じれるような環境で高齢者のリハビリが行われる・・・そんな工夫が必要と考えます。人のために遣るわけでもなく、自分の健康のために前向きに進み続けられるようなメニューを立ててこそ、それを奨められた御年寄りもリハビリに同意されるはずです。

リハビリだけを計画して、生活面での援助を削減すると言う考え方は、返って御年寄りのリハビリに対する気力を萎えさせてしまうのではないか?必要な援助と見守りは、削減する必要は、何処にも無いのではないか?此れが、私の結論です。

介護保険の大前提は、其の利用者の選択がそれぞれの意思に委ねられている事です。本人の希望と選択があってこそ提案されるリハビリ計画も実行されると思うのです。

私達専門職が、今後してゆかねばならない事は、御年寄りに判り易い方法と、計画を提示することであり、利用者の選択権を何処までも前提としてサービスが行われる事を確認したいと思います。



まとめ。

○サービスメニューの一つとして、リハビリ強化のメニューが追加されることは歓迎する。

○リハビリメニューは、医療的見解と連携して作成され、安全策を踏まえて利用者に提案される。

○生活援助の位置付けは、厳密に行われる事に同意する。しかし、もっと利用者の趣向や生活価値を尊重する事が必要と思う。



○身体介護面で、例えば、散歩や、外出などの利用者が前向きに生きてゆくうえでの活動については、現在よりも広くサービスを適応しても良いと思う。



○人間としての1人一人の尊厳を守りそれぞれの生き方が認められるべきであり、画一的な柵組みは必要ない。現在の訪問介護一つとっても、あまりに、硬直化していると考えます。もっと、思いやりと、ゆとりのある介護を提供しよう。