イージス艦あたごの衝突事故が示すもの

no-mu2008-02-23

先日、普通では考えられないような海上衝突事故が起こった。最新鋭の機器を搭載している海上自衛隊の艦船が、漁に出ている漁船に衝突し乗組員は海に投げ出され行方が分からないという。自衛隊艦船と比べれば何十分の1の大きさしかない清徳丸は、ひとたまりもなく真っ二つに割れ、海に漂った。
この間、あたごは付近の漁船に対してどういう安全管理をしていたのかが現在調べられている。・・・どうやら、衝突の原因は、あたごにあるようだ。
通常、近づいてきた船に対しては、右に旋回してお互いの安全航路をとる筈の公開常識が、当時の状況下でなぜ守られなかったのか?が問われている。
どうやら、早朝の時間にあたごは自動制御で運航していたらしいが、それでも見張りなどの監視はされていたはずである。付近の海に、沢山の漁船団が操業の為に繰り出していることは当然認識されていたはずであり、そうした船との安全距離をとる必要性は当然見過ごすわけにはいかない筈である。

ところが、事故の直前に不可解な見張りの交代などがなされており、あたごの安全航行能力に重大な落ち度があったと考えられる。
イージス艦あたごは、日本の自衛隊艦船としては最も優秀な機器が積み込まれ、100機以上の飛行物体をレーダーにとらえて迎撃できる能力を持っていると言われているが、こと漁船との安全航路を保つための方策は、かくもずさんな管理の中で航行管理されていたことは空恐ろしいと言わねばならない。
防衛能力強化の為には、税金をべらぼうに使っておいて、漁業に従事する日本の漁船の安全に対してはかくも好い加減な対応がされていたわけである。

勝浦市の漁業組合の人達が怒るのも当然であり、未だ発見できない二人の乗組員の家族が遣り場のない悲しみの中に落とされた現実は、改めて日本の海上自衛隊の横暴な海上航行の在り方を浮き彫りにしていると考えねばならない。

付近の近海には、沢山の漁船が操業していることを踏まえれば、大きな自衛隊艦船がそうした近海を運行するときに、その安全航海のために何が必要であるのかが問われている。


今回のような事故は、過去にもあったはずである。
ところが、そうした事故の反省が何ら活かされていないことが情けない。

自衛隊は平和を守るために設けられている。建前はそうであったとしても、実際には漁業を営んでいる小さな漁船にとっては危険な艦船となりつつある。公海上での、常識すら守られず、まるでやくざが肩をいからして公道を直進するように、公海上で好き勝手な運航を続けるならば、今回のような事故はまだ繰り返される危険性がある。こうした自衛隊の行動は、国民の厳しい声により糾弾されなければならない。

最新鋭のレーダー装置は、仮想敵国の飛行物体に対しては神経質に作動するとしても、付近の海で操業する漁船などに対しては何ら有効な能力を発揮できないとするならば、そんな装置に何の価値があろう?無駄な税金を防衛費という名目で浪費するのではなく、日本近海の安全航海の為にそうした税金が使わねばならないと考える。