無言の少女は何を発言しているのか?

no-mu2008-03-02

この事件は、2月10日に沖縄県北谷町で発生し、11日にはアメリカ兵が少女暴行罪(強姦容疑)で現行犯逮捕された。
その後、捜査が進む中で事件の全貌が明らかになっているが、一昨日少女側からの一方的な告訴取り下げにより容疑者のアメリカ兵は釈放され、訴追を免れる事態になった。何故このような結末にあっけなく事件が葬り去られるのか?多くの人があっけに取られたことだろう。

今回の様な容疑においては、「親告罪」という形で被害者が容疑を告訴しなければそもそもの訴追が出来ないことになっているという。
今回、少女の側からの一方的な訴追取り下げが、どういう理由によるものなのか?・・・それに関しては、理由付などは明らかにされていない。
だから、ここからは想像力を発揮する他仕方がないが、提訴を取り下げた理由には、被害を受けたことは事実としても、裁判等で傷を掘り返されることに対する戸惑いから「そっとしておいて欲しい」という願いが込められているという。・・・つまり、そもそも米兵の誘いに乗って車に乗り込んだり、家について行ったりした少女の行動が非難される恐れがあり、そうなれば余計に傷つくことになるという不安があったことが想像できる。

少女は、この事件で家族や学校からこうした少女自身の対応の甘さを指摘され、それを非難されることにより何時までも辛い思いを引きずらなければならなくなる。家族や地域から、何時までもこうした事件の話題にされることにより、事件の被害とは別に、精神的な攻めを追うことになることは容易に理解できるが、問題は、少女を精神的に支える人たちがどれだけスクラムを組めるのかにかかっているだろう。**確かに、少女は気軽に容疑者の声掛けに乗ってついて行くという行動を選んでしまった。それは明らかに、少女の幼さであろう。
しかし、その事と、米兵が行った少女に対する暴行容疑は、別次元の問題というべきであろう。米兵が行ったであろう行為は、仮に強姦が行われなかったかどうかを伏せるとしても社会的に許すことが出来ない婦女暴行罪に値する筈である。**まだ、善悪の判断が曖昧な少女を無理やり引き込んで、自分の欲望を強要することは許されない罪悪であることは確かである。

今回、こうした容疑が「親告罪」ということで全て帳消しにされた。・・・こうした捜査の及ばない社会的な罪悪に対して法律の在り方が問われる必要があると思う。
告訴されなければ、こうした犯罪が「やりどく」の形で見過ごされることはあってはならない。

少女の心の傷は誰が癒すのか?
・・・恐らく、少女は長い時間をかけて、今回の事件の重さを味わうことになろう。・・・いくら、このままそっとしておいて・・・と祈っても、常に彼女の気持ちの中では自分を非難する声が聞こえてくる筈である。
もし、この事件を彼女が社会的な事件として考える余裕があれば、告訴を取り下げることなく裁判でことを明らかにすることが出来たかもしれない。**しかし、残念ながら、少女とその家族は、裁判で戦うことよりも「事件を水に流す」ことを選んでしまった。・・・彼女の事件が有耶無耶にされても、また新たな婦女暴行事件が繰り返される可能性があるならば、逃げるよりも米兵の犯罪と闘う意義を理解出来たかもしれない。しかし、今回の事件では、事件への積極的な問題の告発はされることがなかった。この事を残念に思う人達はおそらく沢山いるだろうが、少女を勇気づけ、事件に対して前向きに生きることを助言できる人がどれだけいるのか?ということが気がかりです。
沖縄が立たされている社会的な環境と、基地の固定化によりもたらされている不条理に対して、勇気を出して声を上げ戦っていく必要性を忘れてはならないと思う。