再びガソリンが高騰で振り回される消費者はどうする?

昨日衆議院でガソリンの暫定税率が強行可決された。これにより、下がっていたガソリンの価格が再び高騰して今度は今までで最高の価格に上昇している。
これほど振り回された日本の消費者は、一体今回の事態をどう考えるのか?
最大の問題は、ガソリンには高い税金がかけられて消費者に下されているという事実であり、暫定税率を差し引けばかなりのコスト低減を図ることが可能だということです。
4月、期限切れのガソリン暫定税が撤廃され、軒並みガソリンの値段が下がった。消費者は、一様にその恩恵を受けたのだが、それにケチを付ける人たちもいた。
彼らは政府の言い分を弁護し、道路建設を進める為にはガソリン暫定税率が必要不可欠であると説明した。しかし、多くの国民はそんな理由付に反対して安いガソリンを支持した。
何だかんだと税金を取る理由を説明されても、これまでどれだけの無駄な道路建設が行われているのかを思い浮かべてみれば、もうどんな理屈があろうと不必要な土木計画をもうこれ以上認める必要はないことを肝に銘じる様になった。

日本のガソリン価格の高値は、暫定税率がかかることにより成り立っている。もしこの税が撤廃されれば、安いガソリンが売られることになるだろうか?
この点についても、そうとは限らないだろう。例え、暫定税率が撤廃されても、すでに日本の油は高い価格を付けてしまっている。そもそもガソリンの値段とは何なのか?
もともとガソリンは大地が作り出している無償の自然資源である。油は、その採掘費用と輸送価格を認めるとしてもそれ以外の価格を上昇させる費用は、不当な税金と企業の収奪費用ではないのか?
考えてみたい。中東などの産油国は、油を高く消費国に売ることにより、その自然の産油価値を自国の利益の為に利益をむさぼっているとは言えまいか?
石油が産出されることだけで、膨大な輸出利益を生みだし、油を取引材料として世界の国々と商取引が成り立っていることは明らかです。
日本のような油のほとんどを輸入している国にとって、高値の油を他国から輸入しなければならないことはその費用を何によって生み出せば良いのだろうか?

加工技術や商品価値を高めるモノ作りを進めて、それを海外に販売することにより油の対照価格を生み出す能力が必要とされる。・・・高度成長期のように、高度の経済成長が見込めた時代では少々の高い油の値段も何ら問題にはならず仕入れることが可能であったが、今日のように零成長の時代において、好調な業種とそうではない部門の格差がますます顕著となるにつれて、社会的な貧富の開きがどんどん膨れ上がっている時代に、今回のような油の上昇が起こることにより考えられないような社会的混乱が巻き起こる可能性がある。

今日軒並みに消費物価が値上がりし、油だけにとどまらない物価全体の上昇を発生させてしまった。
労働者の生活給が上がらず、低所得の層の生活苦はどんどん深刻なものになりつつある。
この意味では、日本の社会全体に不安定要素が増幅しだし、町全体の治安も悪化してしまうおそれがある。こうなれば、新聞紙上を賑わす凶悪事件や犯罪発生率が上昇することが懸念されてくる。
持つ者はますます多くを持つ傾向を加速化して、持たざる者はますます貧しさのどん底に落ち込んでいく社会・・・そこには若者が真っ直ぐに育っていける環境がもはやどこにも存在しない社会に変質する可能性を臭わせているようです。こんな社会には、もはや何の魅力があるのでしょう?

もう一度考えてみたい。
今日の高い油を買わされている日本の現状を良しとするのか?それとも油にこびりついている様々な税金費用を取り払っていけば、それまでは考えられないような“ダイエットされた“低コストの油が市場に出回る可能性があるのではないか?

・・・どうやら、私の頭の中では、どんどん低コストの油の世界が広がっていくようです。実際、このような形で油が安くなれば良いに越したことはないが、そうは上手くはいかないかもしれない。そこで考えつくのは、高い油を出来るだけ使用しない方法はないか?ということに行き着く。いわゆるエコ生活の提唱である。

例えば車に乗らなければ、いくらガソリンが値上がりしても「われ感ぜず」と平静でいられる人もいるだろう。これは高い商品を買わなければ何の被害もないという論理だが、現代生活をする限り、全く油を消費しない生活は考えられないし、誰もいない山中で悠々の隠居生活でもしない限り、少なからず消費社会と繋がる暮らしを強いられてしまう。
何をどういう風に購入し、どういう暮らし方をするのかは全く自由ではあるが、消費の方法は人さまざまである。
それぞれの考え方で、モノの消費方法を考え、自分で納得して生活する…これが自由な生活というものなのか?

政治に翻弄されて、上下するガソリン価格に四苦八苦している現状をみると、何が根本的におかしいのか分からなくなる。
今一度、今回のことの成り域をじっくり考えてみたいと思うのは、私だけではあるまい。
「ぬかよろこび」の夢に終わった消費者の恨みを、誰が晴らしてくれるのであろうか?