1948年、イスラエル人はパレスチナ人に何をしたか?

no-mu2008-04-29

中東の歴史は、混在する諸民族が自らの生存をかけて戦う歴史となっている。何が正義で、どの主張が正しいのか?第3者である我々には判断することは難しい。
イスラエル人たちはナチスにより激しい人種差別と抹殺の経験を経て戦後独立を果たしたが、彼らが住みつこうとしたイスラエル地方はすでに先住のパレスチナ人たちが居た。
当初、共存を謳ったイスラエル国家が次第に排他的なシオニズムに染まり、1948年大々的な「NAKBA」大惨事を繰り広げたという。

その年、イスラエルの各地で正規軍らによるパレスチナ人の村々へ追放攻撃が繰り広げられ、強制的にパレスチナ人が住んでいる村々から追い出す作戦が繰り広げられた。抵抗する者は容赦なく攻撃され殺害され、子供や女性の区別なく抹殺される激しい攻撃が繰り広げられた。ある村では、激しい村人たちの抵抗と戦闘の後、村人らは一同に集められ男たちを次々に射殺し埋めてしまう虐殺行為が繰り広げられ、女子供たちが見つめる中を抵抗するもの全てが殺害されたという。・・・こうした虐殺は世界に報道されず、村ごと廃墟とされ死体と共に埋め隠された村が多数存在しているという。イスラエルキブツダリア近郊に埋もれた村、ダリアトルーハもそうした破壊された村であり住民たちの多数が殺害され住んでいるところを追われて他国に逃げた。・・・作者は、こうした住民を探し当時の状況を聞くために奔走し、幾人かの人物を映像の中で映す。やがて生き延びた人たちが重い口を開き、当時の経験を語り始める。

・・・このイスラエルによる多民族虐殺がどれくらいの犠牲者を生みだしたのか?は定かではないが、パレスチナ人たちの多数がこののち自分たちの住処を追われて隣国のレバノンや戦闘が起こされていない地方に逃避しなければならなくなったことは歴史に記されている。以降パレスチナ人は、故郷を追われた難民として散らばることとなるが、その原因を作ったのは他ならぬイスラエル建国であることは事実です。

第2次大戦イスラエル人たちが被った経験、それは民族差別と人種に対する想像を絶する迫害の歴史であった。これに関しては、ドイツの野蛮な行為を誰もが告発しその罪を永遠に憎む。しかし、今度は自分たちが受けた苦しみをパレスチナ人たちに実行する姿を戦後の中東問題で確認することが出来る。
一体何故、イスラエルの良心はこれらの軍部の行動を抑えることが出来ないのか?イスラエルにも、こうした軍事作戦を良しとしない考え方を持つ人たちが存在する筈である。全てのイスラエル人が、中東での多民族排外主義を正当化しているとは思えないし、パレスチナ人との平和共存を模索する人たちもいる筈である。

実際、そうした報道されないグループの活動もあるのだが残念ながら目立った運動のうねりとはなっていない。しかし、そうした目には見えないイスラエル人たちの活動が例えばボランティアの医療活動などに現われていることに注目する必要がある。それはイスラエルの軍事的なシオニズムを押しとどめるような力には成り得ていないかもしれないが、確実に人々の中に浸透していることも事実です。全てのイスラエル人が、周囲のパレスチナ人たちと敵対しているのではなく、むしろ文化的社会的に結びついている側面もあることをこの映画で知ることが出来る。

残念ながら、まだまだこうした結びつきは弱く小さい。だから地球の裏側の日本にはなかなかこうした活動の波が伝わらない。
しかし、いつの日か中東に本当の意味での共存と平和のうねりが高まる時には、こうした地道な活動を積み上げる人たちの労苦が実る時が来ると思う。また、そうした戦争のない中東を信じそのための行動を勇気を持ってはじめていこうとする人々がもっともっと増えていくことを信じ、私たちが出来る支援の在り方を考えていきたい。

広河隆一監督の「NAKBA」は、見る者に様々な驚きを打ち鳴らすと同時に、こうした過酷な状況下でも笑顔を溢れさせて必死に生きている現実を目の当たりにする。
特に若い世代にはぜひ見て頂きたい作品です。