言論に対する暴力を許さない社会造りを!

no-mu2008-05-03


兵庫県朝日新聞阪神支局に対する銃撃殺傷事件から21年目が訪れた。
犯人たちを追う日本の警察力は、結局殺人犯を逮捕することが出来ず、時効という形で法的に訴追出来ない領域に犯人達を逃がしてしまった。
懸命の捜査活動をあざ笑うかのごとく、犯人達は犯行表明を新聞社等に送りつけ、自らの暴力の意味を社会に対して示し新聞社に対する宣戦布告を行った。日本の社会が決して安全な社会ではなくいつ何時突然の暴力行為が起こされるかも判らない危険性を示す事件となった。あの猟銃は、警察に届けられているはずの日本国内の猟銃のどれかを使用して行われている筈なのに犯人を見つけることが出来ない。・・・この不安な現実が日本の警察力の力量を示しており、今後も銃器が犯罪に使用されることに対して、それを防止する対策はどれほど練られているのでしょう?

それから21年、一体犯人達がどういう行動を続けてきたのか?誰も知ることが出来ないが、間違いない事はこうした行動に対して意義を見出し、暴力を正当化して今後もそうした行動を取るグループが温存されていることです。彼ら武装した暴力集団にとっては、日本の政治的な自由が格好の隠れ身ととなっている。

彼らの行為は、新聞社等へ大きな圧力をかけ続けていることは事実であり、とりわけ社会的な不平等を告発したり権力を乱用する時の政治的な横暴に対して辛辣な批判を展開しようとする時には、大きなプレッシャーとなっている。
しかし、試されているのは「表現の自由」という情報の根幹に対してどんな暴力にも曲げることのない見解を堅持する姿勢であり、公共の情報提供機関としての変わることのない情報発信を行うことであろう。

特に第一戦において社会における問題を取材し、日夜新聞記事を送り続けている記者にとっては21年前の出来事はもちろん他人ごとではなく自らの存在を改めて知らしめる衝撃的な事件であった筈です。
亡くなった小尻記者と同じ朝日新聞の古沢記者は次のようにあの事件を振り返って述べている。
 『・・・事件が起きた時、私はまだ学生だった。しかし小尻さんと接した人たちに会い、彼の死の意味を考え続ける中で、「言論の自由」という聞き慣れた言葉が持つ重みを実感するようになった。記事を書く時だけではない。自分の立場や利益を考えて発言をためらいそうになった時、会ったこともない小尻さんが私の背中を押してくれる』

新聞記者も一人の人間である限り、問答無用に銃口が向けられればそれに怯む。暴力で言いたいことが封じられてしまう社会にしてはいけないことを訴えたいと思っても、いざ目の前で暴力行為が展開されたならば逃げたくなるのも弱い人の常でそれを責めることは出来ない。しかし、誰かがそうした暴力を許さない断固とした声をあげ、それに多くの人たちが賛成して行動すれば社会を変えていくことが出来るのではなかろうか?多くの市民がスクラムを組み、まともな発言を掲載する情報機関を支持しスクラムを組んで守ることが出来れば、やがては社会における言論の自由を守る流れが主流となる筈です。
こう信じる人たちを支援する責務が報道機関には課せられている。また、それを警察力で守ることが法治国家たる所以であろう。

ところが、赤報隊を名乗る21年前の虐殺グループは未だに日本社会に安住している。
銃を持っている彼らが、再び暴力行為を繰り返す可能性は決して消えさることがない。

改めて私達はお互いが確認する必要があると思う。
報道機関や言論の自由に対するこうした暴力行為を、決して許すことは出来ないことを。

亡くなった小尻記者を5月3日が来るごとに想起したい。何故、29歳の働き盛りの正義感で満たされた新聞記者が銃殺されなければならなかったのかを・・・
赤報隊を名乗るグループの行動は、単に朝日新聞に対する暴力事件にとどまらず、日本という国での社会的・政治的な言論の自由を守る問題につきつめることが出来るだろう。
最近では、「映画・yasukuni」の上映中止問題に現われているように、自由な映画上映権が危うくなっている実情を思い知らされる。
もし、自由に映画を作り表現する権利が奪われ、自由に新聞記事を編集発表する権利が阻害されていくならば、日本での表現自由というものが危うくなっていることを示していることになる。こうした歪んだ社会を誰しも望んではいない筈であろう。一部の暴力的なグループと自由な発言を阻害しようとする集団の圧力に対して、私たちがどういう対応をするのかが問われているように思う。
勇気ある一人の行動を見つけることは難しくとも、多くの善意と願いを紡いで暴力を許さない社会的規範を築き上げることは可能だと信じます。
改めて、21年前の事件を胸に刻み忌まわしい犯行を憎むなかから、小尻記者が目指していたであろう言論の自由の大切さを学びたい。