介護の社会化はまだまだ遅れている。

no-mu2008-07-20


最近、認知症の問題が盛んに問題にされ、やれ30年後には患者数が450万人に倍増するとか、「認認介護」が社会問題化するのでは?と騒がれている。
この認知症に対する対策は、騒がれている割には介護においても医療においても遅れている。

例えば介護の分野では、認定調査時に認知症が進んでいる状態を確認出来ても日常生活において支障が起こっていなければ軽い判定しか出ない。徘徊をどんどん行う人の場合、足腰においては健康であるから身体能力との評価としては「健康体」とみなされてしまい、介護が必要な人とはみなされない。なるほど、周辺症状がどれだけ出ているかにより要介護認定に上積みはされても認知症自体を要介護状態とはみなさないのが現在の調査方法としての考え方になっている。だから、目を離されない行動をする可能性があっても、その症状が希にしか出ない状態と判断されれば、要介護認定が出ないこともある。要支援認定では、サービスの利用において大きな制限がくわえられ、介護保険サービスだけでは認知症利用者を介護しきれないケースが多く出てくる。家族が居られる場合はまだ方法は残されるも、その家族が介護疲れであったり、経済的な理由から介護面での協力が十分引き出せないことがままある。こうなると、認知症を抱える利用者をサポートする社会資源が見つからない事態に直面する。
現在の制度は、認知症利用者を面倒みる家族なり兄弟が居るはず、という前提の下で最小限のサービスを位置付けるやり方となっており、一人暮らしの方、夫婦ともに認知症が疑われる「認認介護」のケースなどでは文字通り自己責任のレッテルで社会が責任を持たない対応上の問題が出てくる。現場ではどうしたら良いのか?自己犠牲の精神でその場は面倒を見れても、継続的なケアーとしては成り立たない。

一方医療においても、認知症の専門治療をこなす診療医が地域にほとんどいない現実があり、患者の初期治療が遅れてしまうケースが多々ある。周辺症状が出始めた時に、適切な診断と治療がなされて服薬治療が継続されれば、深刻な症状をきたすことがない筈なのに、結果的には重症の認知症になるまで放置されてしまうケースが出てきている。
現在の医療制度では、認知症に対する対応力が整備されていないことについて、ようやく厚労省も重い腰をあげ、「緊急プロジェクト」なるものを発表して新たに認知症専門のコーディネーターを全国に配置し、研修訓練された専門家による家族と医師・看護師・介護事業所らの仲介役を果たして認知症の早期治療と適切な対応策を前進させていくことを明らかにした。
このこと自体は歓迎すべきことだが、来年度配置されるのはたったの150人だという。地域包括支援センターが全国で約3800か所設置されている。せめて各包括センターに一人を置くべきだと思うが、コーディネーター一人が受け持つ地域包括が25か所、・・・これでは焼け石に水ではないか?厚労省が進める人材育成は、ひとケタ以上現場サイドの感覚からずれていると言わねばならない。

勿論、こうした専門家が居ないよりは有効かもしれないが、肥大化する認知症ケースに対する対応専門職としては心もとない数字ではないでしょうか?

主任介護支援専門員の育成も各地で進んでいるらしいが、この研修についても一言文句を言いたい。
困難ケースや地域の社会資源を有効に活用し連携を取るためのスペシャリストを養成するといううたい文句は良いとしても、研修に参加する民間事業所の研修生はほとんどが自腹の研修費を出している。自分が日常担当する仕事を続けながら、合間を縫って11回程度の研修に赴き研修費用はO府では6万円がかかる。都道府県により多少の費用差はあるとしても自己負担でこうした研修を受けている実態をどこまでつかんでいるのか?おそらく公的な施設(社会福祉協議会や大病院など)では研修費は出されているでしょう。それは資質を上げる為の必要な研修費として施設や協議会が受講を奨励しているからでしょう。しかし、多くの民間事業所は、びた一文こうした研修費を出さない。研修には有給休暇を使って参加している。
こうした境遇の落差が研修一つとっても大きく違ってきており、これは人件費においてもかなりの開きが出ていると推測できる。同じような仕事に就き、地域での活動、職場での仕事をこなしても、これだけの格差が出ていることを知っておいて欲しい。・・・介護の世界でも、れっきとした格差社会が出来ている!

大事なことは、民間事業所で働く介護支援専門員が疲弊しない待遇と給与を保障して欲しいということです。
光が当たらない、民間事業所に働く介護とケアマネジメントを生業とする職種の人々が、もっと夢を持てる環境作りをぜひお願いしたいものです。