領有権をめぐる醜い争いを止めよう。・・・竹島(韓国名独島)問題について。

3年前、島根県議会が「竹島の日」を制定して大きな社会問題となった。この時、韓国側の猛烈な反日ナショナリズムに遭遇して韓国との外交関係にひびが入り両国の警備隊双方で一触即発のにらみ合いが続いた。韓国側は、独島の領有権を確かなものにする為に、常時防衛隊を常駐させ事実上島を武力をもって管理している。一方日本側は、こうした韓国の強い姿勢に対して直接的な刺激を与えないような自衛隊の対応を行いつつ、領有権そのものは日本側にあることを譲ろうとはしない。

かくして両国の外交的な折衝は、こと竹島(独島)問題では互いに歩み寄りが見られず、特に韓国では国民のナショナリズムを動員して日本に対する激しい国民運動を背景にしてこの問題についても非妥協的な対応を一貫して貫き、他の問題についての折衝は別にしても、こと領有権の問題についてはどんな妥協もしない姿勢を貫いている。

こうした事態の中で、今度は日本の中学校の学習指導要綱においてはじめて竹島を盛り込むことが決まっている。内容としては、竹島が日本の領土であることを生徒に教えなさいというもので、これは韓国世論をいたく刺激している。
日本と韓国が、竹島(独島)の領有権で争っていることを歴史の問題として伝える必要性はもちろんある。しかし、日本政府の考え方をそのまま正しい判断として生徒に教えるというのはあまりにも片手落ちではなかろうか?
竹島(独島)問題では、歴史学者の中でも論争が続いており両者の言い分はどちらが正しいと結論付けることは簡単には出来ない筈です。むしろ、こうした問題ではどちらの言い分も理解する中から妥協点を見つけ未来における問題解決の可能性と方向性をテーマとして生徒に教える姿勢が求められる。これが教育的な配慮を持った教え方だと思う。ところが、文部省の学習指導要綱の指示はこうした教育的配慮が貫かれていないところに大きな問題がある。

そもそも、国際的な国家間では数々の領有権問題でこじれ、それが武力的な衝突に発展する要因となっている歴史的反省をこそ生徒に伝えていく必要があると考えます。
いたずらに自国の主張を有利に展開し、相手国の意見や利益を蔑ろにする考え方は、狭いナショナリズムを増長させる。かって日本は、「アジアの解放」という美名のもとに次々とアジアの他国に土足で侵攻して日本の軍隊を投入し、日本に協力する政治勢力=傀儡政権を囲い、それに反発する人たちを力づくで弾圧した。こうしたやり方が、口先では美しいたてまえが語られようと、実際には他国の軍事的侵略以外の何物でもないことは歴史が証明している。
当時日本の軍部に苦い蹂躙を受けた人々の記憶は、今もその痛みを忘れさせるものではない以上、今私達が戒めなければならないことはかっての軍国主義的な誤りを再び繰り返さないための自覚です。

私は専門家ではないので、竹島(独島)の領有権を巡る歴史的な問題を論争する知識も知恵もない。しかし一番大事なことは、日本と韓国の友好関係が、こうした人が住めもしない島(日比谷公園の1・4倍程度の断崖絶壁の岩)のことで目くじら立てて相争うことはない、ということです。この島は、誰のものでもなく自然の営みにより作られたものです。
いっそ、この島を両国友好の島として登録したらどうでしょう?
何故政治家たちは、竹島(独島)領有問題を熱く語り、自国のものであるか否かの論争に国民の関心を注ごうとしているのか?その魂胆が不可解です。

もともと、国家は人間が作り出した境界線であることを思えば、国境など無くしてしまって良いわけです。領有権の争いをすること自体、愚の骨頂と思う。
そんなことで争っている大人は、子供たちにおもちゃの取り合いをしていることで諭す資格などあるでしょうか?

そうなんです、政治家たちはもうちょっと大人としての政治信念を持つべきです。つまらぬ国土の領有権争いに力を注ぐぐらいなら、もっと精力を投入して解決し貢献するべき問題は山と有る。・・・そう思いますよね?