家族と介護保険。

no-mu2008-11-23

介護保険施行から8年、認定を受けて介護サービスを受けている高齢・障がい者の方は私たちの周りにたくさん見かけられるようになりました。制度が普及し、国民の多くがこの恩恵を受けるようになったことは一定の成果と言えるでしょう。
しかし、一方では制度運営の中身やこの制度の普及という意味で不十分なことが沢山あります。
制度運用は介護保険法と厚生省令などで大枠が決められ、各自治体により運用されていますが細かい部分で解釈の違いが沢山見られ、もっと利用者本位に運営される必要が叫ばれています。
せっかく介護保険料を支払っても、その恩恵を受けられない人たちもたくさんおられますし、市町村の担当窓口が申請本位に運営されて情報の行き届いていない人たちへの対策が遅れていることも指摘されるでしょう。
限りある財源の中で互いに支え合う制度なので、給付される介護もおのずと限定を受ける事はだれしも納得するでしょうが、介護に困っている人たちの現状を理解し、どうすればうまく老後を生きていけるのか?その道筋を指し示す役割は担って頂かないといけない。
認定が受けられなかった人達にも、「こんな支援があります。こんな制度がありますよ」と情報を提示する福祉の案内係として、今一度丁寧で分かり易い窓口に改革して頂きたいと常に思います。

介護保険が出来てから、家族の役割が再検討される必要があると思う。
今までは、家族で何とかしなければならなかった介護の問題が、正々堂々と保険制度を使って負担の軽減策を選択することが出来るようになった。
家族だけではどうしても支えきれない介護を、保険制度利用により少しでも息抜きをして頂いたり余裕を得られるようになれば、家族だけで支えきれない部分がしっかりサポートされるようになる。そのことは良いのですが、一方では家族の協力が十分に得られないケースもたくさん見受けられる。
・・・ヘルパーやケアマネにおんぶにだっこで、可能な家族の支援をやろうと努力をしない人たちに対して誰が調整をすれば良いのでしょう?
一方では精いっぱい努力をしている人達もいるが、他方では本来家族がするべきことをヘルパーやケアマネに丸投げしているケースが沢山あります。

生活支援などの位置づけにおいても、本来家族でもう少しやって頂きたいと思う支援内容についても家族の協力がないがために介護保険でやらざるを得ないようなケースもあるのです。
一つ一つのケースにより、アセツメントによりニーズが違うとは思いますが、「もう少し家族さんの支援があればなあ」と正直多々あるのも事実です。

まだ8年目の運用制度ですから、これからどんどん改革していけば良い。でも、改悪は駄目です!
財源の問題はもちろん無視できないけれど、高齢・障がい者が不安と泣きを見なくてもよい世界に誇れる制度を作る必要があり、そのためには多くの国民の意見と叡智をすり合わせて見直し策定をして頂きたい。
来年の春には3年ごとの見直しがあるが、介護報酬3%アップに関しては確定的だと言われている。・・・果たして配分がどういう形で決まるのか?注目される。
特に強調したいことは、介護で働くスタッフがその報酬においてもっと報われる待遇アップの道筋を作ってほしいことです。
このままの劣悪待遇と収入低迷が続けば、人材の確保はおろか最低限必要な現状を支える人材にもその確保に支障が生まれる事でしょう。
そうなれば、肝心の介護の質が低下したり、必要な提供サービスがますます切り縮められて不十分なものとなる可能性がある。

安心して老後を過ごせる、お年寄りの笑顔が国のどこを見ても満ちている社会、それこそが私たちが目指すべき社会ではないでしょうか?
このテーマは簡単なものではないことは誰もが知っているでしょう。
しかし、もっと多くの人達が力を合わせれば、現状を改革するための方策はいくらでも築いていけると思う。

やっぱりこの国は、目先の儲けや利益にばかり重きを置いた企業の論理を強調し過ぎている社会の骨組に偏っているのではないか?
行き過ぎた歩みを、もう一度方向転換する勇気を一人一人が持つようになれば、まだまだ未来を改革する方法は残されていると信じている。

まだ必死に寒さに耐えて生きています。バッタ君の親子です。

蕾は作られようとしているのですが、寒さのためこれ以上膨らまないようです。