介護制度の狭間から取り残される人たちについて。

http://www.asahi.com/national/update/0321/TKY200903200276.html
昨日、悼む人の読後感想を書いたが、埼玉県の老人施設「たまゆら」で9人のお年寄りが焼死する火災の痛ましいニュースが報道されている。
06年に、九州のグループホーム火災で入居していたお年寄り多数が救出されることなく焼死した事件の記憶がよみがえる。あの時は、一人の職員が宿直にいたが火の勢いが激しく人名を守れなかったこと、スプリンクラーが設置されていなかったことなどが問題になった。9名を一ユニットとするグループホームで、2ユニットの施設でも宿直は一人でやっている施設もあるという。二人を宿直に置くと人件費が今の報酬単価では出ないと言われている。
こうして、現在のグループホームの夜間人員体制は、もし緊急事態となり入所している利用者を救出する場合、非常に問題がある職員体制で運営されていることが分かる。

今回の老人施設は、届け出がされていない施設であり県などの監査が及ばない施設である以上安全基準というものがない。火災の際のスプリンクラー設置についても、やっと4月から義務化される寸前の事故であったという。また、費用的にいったい誰が責任を持って拠出するのか?見通しがついていない施設も多数あるという。(一つの施設でスプリンクラーを設置する際には数百万円がかかり、それを施設が全額拠出するとなると、即利用者への入居負担金に響いてくる。
低所得者が多数を占める、こうした高齢者賃貸住宅では、とうてい利用者負担に転換できない経済的背景があり、利用者の安全のために誰がその設備費を負担するのか?と言う問題がいっこうに解決されていない。これでは、「低所得者は火事での安全が守れない」と言うことに行き着く。なんと情けない高齢者せさくであることか?

今回の老人施設運営はNPO法人彩経会(渋川市)が運営しているが、果たしてどれだけの安全対策を行っていたのか?やっていなかったのかは今後の捜査で明らかになろうが、こうした非認可施設が生活保護等の低所得者の入所ニーズに応える形で増加している社会的背景が指摘されている。
特養などの公的施設が定員一杯で入ることが出来ないお年寄りが、介護保険制度の在宅サービスで介護できなくなるケースが多数見かけられる。・・・これは要介護認定とも関係するが、限度枠内でのケアプランだけではケアーの維持が難しくなり、介護の手間がかかりすぎることによる利用者の在宅生活が成り立たなくケースがままある。

たとえば、認知症による介護への抵抗や無理解・徘徊等が頻繁となると、その人の介護度限度枠でのサービスでは見守り等が成り立たなくなるケースが考えられる。こうしたケースでは、もし地域等に利用者を受け入れ可能な認知症施設があれば、バトンタッチによる利用者ケアーが継続可能であるが、もしそうした受け入れ先がなければとりあえず限度内のサービスだけで後は「放置状態」となる可能性がある。・・・人的見守り等が無くても生活維持が可能な人ならばどうにかやっていけるだろうが、家族等の支援が見込めず、自立生活が出来ない人になると、とどのつまりは自己責任という形での「精神的身体的症状悪化」による入院入所に行き着くことになる。不運な場合は孤独死と言うことも考えられる。

こうして、低所得者に限ったことではないが、現在の福祉制度の狭間で必要な救済措置から抜け落ちてゆかざるを得ない人々が実際には多数存在していることを指摘しなければならない。
今回の火災を発生させた施設は、東京特別区内からのこうした低所得者の受け入れ施設として運営されてきたという。・・・どこにも行き場が無く、なおかつ介護の手間がかかる人たちに対して、とりあえず低料金で収容させることが可能な施設として、こうした無届け施設が全国にも多数存在している。
施設そのものの設置ニーズが背景にある以上、問題はその運営の中で最低限必要な設備設置財源を、誰が負担するのか?と言う問題が解決されなければこうした問題は無くならないと言えよう。施設所在自治体や送り出し所在自治体だけでは対応できないのであれば、国がそうした費用を拠出する対応が求められる。

痛ましいお年寄りの焼死事件としてこの教訓が生かされなければならないが、果たしてきちんとした対応策の改善がなされるであろうか?
もし、06年のグループホーム火災の教訓が生かされていれば今回のような火災事件は無くせた可能性がある。しかし現実には、再びこうした夜間の火災事件が発生し、9人のお年寄りが焼死した。この事件の重みを関係機関だけではなく私たちも受け取り悼むことが必要となる。人の命が本当の意味で大切に扱われる福祉制度を確立するために、運営される施設での安全基準の徹底が今こそ問われなければなるまい。
そのためには、こうした無届けの施設開業に対して、必要最低限のスプリンクラー設置や夜間の人員基準見直し等が制度として改善される必要があろう。
人の命を守るために公的資財が投じられること、これは無駄遣いではなく必要最低限の社会的投資と見なされるべきだ。こうした制度の確立こそ、今後の超高齢化社会で不可欠の運営基準であることを周知すべきだと考えます。
昨年6月の朝顔です。