イスラエル・パレスチナ問題の核心を突く。

http://www.cine.co.jp/chinmoku/director.html


先日大阪第七劇場で見た映画に触れながら、中東における戦争状態、イスラエル占領政策について考えてみたい。
私が見たのは、土井敏邦監督が17年の年月をかけて現地で収録したフィルムを編集して制作された映画です。
「沈黙を破る」という題名のこのドキュメント映画は、土井監督の4部作の長編作品の中の最後の映画に当たります。『届かぬ声―占領と生きる人びとー』と題されたこの全四部作は、貴重な現地収録のフィルムとして今後も世界で上映されるでしょう。

さて内容ですが、一三〇分の映像フィルムにはイスラエルの元兵士達の証言が盛り込まれています。イスラエル軍の将校や兵士のメンバーが、何故どういう経緯でこうした「反占領」のメッセージを伝えているのか?そこに大きな興味を持ちました。

当然のことかも知れませんが、イスラエル国内では自国の占領政策パレスチナ人への暴力とはとらえません。殆どの人達は、自分たちの市民生活を守るのがイスラエル軍の作戦であると支持をしています。しかし、イスラエルではイスラエル市民である限り軍への批判をする権利は認められていることが分りました。
「沈黙を破る」のメンバー達は、04年にテルアビブ市内で写真展を開催し、会場に来た市民達と討論と対話をしています。ビデオで移っている人達の中には銃を抱えて制服を着ている女性兵士の姿も映っているのです。彼ら「沈黙を破る」のグループが一体何を訴えているのか?この映画は見るものを釘付けにします。
イスラエルにおける批判の自由は、メンバーの言葉を借りればイスラエル人としての既得権であり、それを最大限利用して運動が進められています。発言が政治的な意味を持たない限りにおいて、許容がされているが、彼らに対する圧力がないか?と問えば、実際には様々な妨害活動がある。しかしそれでも彼らは、訴え続けている。

彼らが主張していることを、全く同じ事であってももしパレスチナ人が実行すればすぐさま武力行使で握りつぶされるに違い有りません。
自らがイスラエル人なのか?パレスチナ人であるのか?その違いにより、自由というものの在り方が全く異なってくる現実がある。このことは特に日本人には分り辛いことなのかもしれない。なぜなら、私たちの社会では、これほどの人権抹殺と差別はないからです。謂わば生ぬるい「温室の社会」に済んでいる我々には、中東におけるイスラエルのような国での「反占領」という思想を公言することがどれだけ緊張感を持ちかち、言論の自由を守るぎりぎりの攻防の中で発言されているのか?実感は難しい。
今年前半に展開されたガザ戦争では、1ヶ月以上にわたって無慈悲な軍事攻撃が一方的にイスラエル軍により実行され、取り囲まれて逃げ場のないガザのパレスチナ人千五百人以上が殺戮され、数千人が傷つき、何万人の人々の家財が破壊され、社会経済がこれでもか?と疲弊しています。圧倒的に軍事力で勝るイスラエルは、力づくでガザを押さえ込もうとしたが結局イスラエルの軍事行動はガザの窮状を回復させるものにはならなかった。ガザは未だにイスラエルにより封鎖されたままであり、満足な衣料品さえ十分でないと云われています。
こうした一方的な暴力は、さすがに米国を始め多くの国から批判を受けていますが、人道的な支援すら置き去りにされたままです。一体、イスラエル国内ではこうした一方的な虐殺行為をどう評価しているのでしょう?確かに旧式のミサイルがイスラエル領内に撃ち込まれては居ても、それは軍事的には何の正確性もない散発的な攻撃です。イスラエルの最新式のミサイルは、狙いを定めたガザの建築物を確実に破壊することが出来るが、ハマスのミサイルはたかだかイスラエルに抵抗する意志を表現する花火のような爆弾でしかない。彼らのミサイルは、手作りで作られている手工業生産の爆発物であり、現代の最新式の精密ミサイルと比較すればその破壊能力から比べものにならないものであることを押さえておく必要がある。
パレスチナの抵抗組織は、どんなにイスラエルによりたたきのめされてもその武力が強大であればあるほどそれに対する反発もまた増幅される。
だから、これだけのダメージを受けても、未だガザの人々は降伏しません。
イスラエルの軍隊により、一般市民のどれだけの人々が殺戮されてきたのか?マスコミ自体も情報を収集出来てはいないのです。

土井監督は以下のように語っています。
「「戦車は家の10mほど先に止まっていました」と、3人の幼い娘の父親が2009年1月7日の昼間、ガザ北部の村に起こった事件を語った。「戦車から1人の兵士が降りてきて、突然、白旗を挙げていた母と3人の娘を撃ったんです。4人は身長も年齢もそれぞれ違っていたのですが、4人全員が真っ直ぐに胸を撃たれていました。7歳のサアドは12発撃たれ、2歳のアマルは10発、4歳のスメルは3発撃たれ、私の母も3発撃たれました。2歳の娘の傷口から内臓が飛び出していました」。
この生々しい殺戮は、歴史の中で隠されたままなのでしょうか?
かってドイツがイスラエル人に対して行った虐殺と同じような軍による市民の殺戮がやはり行われていたことを、イスラエルのマスコミは決して情報公開しようとはしないのです。

土井監督は、17年のフィルムを綴りながら、イスラエル軍の中から未だ少数ではあるが自らの軍の占領政策を非難する運動が既に始まっていることを取り上げてくれています。
「沈黙を破る」の運動は、確かに未だ微々たる流れかも知れませんが、確実にこうした声が広がりつつあることを知ることが出来ます。
私たちが映画を通じてイスラエルによる占領とは何か?を学び自らの社会における占領政策を問い直すことが、真の連隊と言えるでしょう。
日本は二度と占領政策を遂行してははならないし、かっての朝鮮や東南アジアに対する侵略軍事行動をきちんと認識しなければならないと思う。

実は此処で採り上げられている問題は、単なるイスラエルパレスチナの問題ではなく私たちの旧日本軍のやってきたことに対する問題でもあり、米国のイラク戦争における問題でもある。
私たちが自らの問題として掘り下げていくとき、始めて地について自分たちの「反占領」運動、平和を全ての人に!という運動が広がりを持つと思う。


今が満開状態で、沢山の黄色い花達が咲き乱されいます。そこには蟻や蜂などが甘い蜜を目当てに集まってきているんです。


見上げる曇り空が、樹の合間から垣間見れます。この位置がお気に入りです。


新しく整備された歩道の間に、びっしりと咲いています。人為的に植えてあるのですが、綺麗な満開状態。絨毯のような花の群れです。