沖縄の戦争で亡くなられた人達を忘れません。

昨日から、沖縄の戦争64年目の記念番組が放映されている。
二〇万人の戦死者の内、実に半数は現地沖縄の人達が巻き添えになったという。この事実の中に、一体どんな体験が展開されていたのか?
軍隊が戦争をやるだけなら、住民は横で見ていれば良かったが、沖縄では住民を巻き込む形で戦闘が行われ、旧日本軍は現地の住民にも敵の捕虜になるくらいなら死を選べ、という価値観を植え付けていた。
しかるに、米軍が上陸を始めてからというもの、大人子供が着の身着のままであてのない逃避行を始めることとなった。

やがて追い詰められ、住民達は集団自殺を図ったという。
此が軍部の指示だったのか?それとも住民達の意志で行われたのか?今となっては確かめるすべがない。しかし、当時の集団自殺の生き残りの住民が居た。その人達が番組に登場し、実際の体験談として壮絶な集団自決が行われたかを証言されていた。・・・自分の妹や弟を殺害し、自分たちも死ぬつもりだったが死にきれなかったらしい。終戦後は、そうした事実を隠し通した。

戦後、生き残った人達は、殆どはそのことを隠して過ごしてきた。
しかし、戦後64年が経ち彼らは沈黙から口を開いた。
自分たちが行ったことを、痛みを感じながら証言した。
事実を証言することで、当時死んでいった身内の人達に対するせめてもの供養になると考えたからだという。

集団自決は、それを実行した住民自身の問題だろうか?果たしてその背景にある社会の規範を検証しなくて良いのだろうか?

当時、戦陣訓に書かれているように「敵米軍に捕まって辱めを受けるぐらいなら、死んだ方がよい」という教えが、全ての国民の頭に叩きつけて価値観が植え付けられていた。だからこそ、捕虜になることは国民のしてはならないことであるとの考え方が人々の心の中の判断基準として機能していたのは間違いない。

こうした精神状態に追い込まれていたからこそ、彼らは自分たちの家族の息の根を自分たちで止めたのだ。
この彼らの行為は、確かに親族殺人ではあるが、一体誰が彼らを責めることが出来ようか?
私たちが、こうした事実を前にして、一体何を酌み取ることが出来るだろうか?
彼らの心の痛みは、私たちが想像する以上の罪悪感に苛まれていることは間違いない。
彼らの罪は、既に彼ら自身の苦しみにより裁かれていると言えよう。

大切なことは、こうした戦争の極限状態を作り出していた社会状況が再び作り出されてはならないと云うことだと思う。
「鬼畜米英」と戦いからには、自分の命も惜しまずに戦争に身を捧げなくてはならないという価値観、
此を国民に植え付けたのは、当時の軍部に象徴される大東和共栄圏の理念であろう。
天皇陛下を犯すべからざる頂点ととらえ、天皇のためには全てを投げ打って喜んで死んでいかねばならないとされた当時の人生観は、現在の私たちには理解できないが、
64年前は、絶対不可侵の思想であった。

今でこそ、右翼的思想の人達は一握りの例外的運動家でしかないと言い切れるが、当時は、そうした考え方以外は選択肢は保証されなかった。

沖縄の悲劇は、勿論繰り返されてはならないものであるが、沖縄の苦しみと痛みを私たちは忘れてはならない。その意味ではしっかりと語り継がれていかねばならないと思う。
こうした意味において、今後も毎年この時期になれば沖縄での戦いが何であったのかを鎮魂する一時を持ち続けていきたい。此は原点であり、戦争という人間の愚かな行動を地球上から無くする為の学びの歴史であり続ける。