受け入れを拒む日本の体質を変えよう。

先日の新聞に、難民申請をしている約100人の人達に対して、生活の命綱である生活費支給が支援停止されている事実が報道されていた。

日本は、欧米と比べて、諸外国からの難民受け入れに極めて厳しい国である事が実証されたわけであるが、このことは海外からの亡命希望者などを国外に閉め出す政策であることは明らかです。

海外では、政治的に人権が脅かされている人達が沢山いる。問題が解決されるまでの間亡命などの措置がとれる国に避難する事が必要となるが、そうした人権救済措置に対して、日本の政府は極めて非協力的だと言えよう。
08年には、1599人の人達が日本政府に難民申請を行ったが、認定された人達は57人に留まっている。
この数字は、いかに日本政府の認定要件が厳しい者であるか?を物語ってはいないだろうか?
大多数の人達は、認定が出ない不安の中で日本国内での就労も許されずどうやって生活しているのだろうか?・・・こうした人達に対しては、民間のボランティア組織が細々と支援をしている状態であるらしい。懐の狭い日本の政策を、果たして私たちは理解しているだろうか?

今回の生活費切り捨て策は、難民という特殊な人権救済問題に対して、日本の政府の措置が暖かみに欠けている事を示している。
海外の難民申請者に対する保護措置の縮小は、国内での生活困窮者に対する支援措置の後退と対をなしている。
国家が救済や保護を必要とする人達に対して冷たい対応をとり続ける事により、そうした国家に対して愛着が持てなくなるのは当然であろう。
昨今、国家に対する忠誠心が欠けている事を盛んに取り上げられているが、実はこうした国民の意識の背景には、日本の国家自体の政策が根底にある事が判る。

今国内は、政権交代を巡って大きな政党政治の転換点に来ている事が取り上げられているが、民主党政権になって果たしてこうした人権政策が貫かれるようになるのか?
社会のセーフティーネットに多数のこぼれ穴があり、そうした脱落していく人達に対して自己責任のレッテルを貼り付ける社会は果たして暖かみのある民主主義社会と言えるだろうか?

もう一度、私たち一人一人が、こうした問題を真剣にとらえていくべきであると考えます。そして、日本政府の難民申請者に対する生活費支給停止処分を撤回する事を要求したい。