高い空とその下に何重も広がる雲たち・・・夏本番です。

8月8日、日本全国夏本番ですが、高校野球夏の甲子園も始まり心なしか道を歩く人達も太陽を避けて、ついでに人も避けて、みんな思い思いの歩く方向を進んで、人のことなんか気にせずに暮らしているようです。

・・・私は、こんなに夏らしい空が嬉しくて、ずっと上を向きながらゆっくりと歩いています。日差しを避ける帽子を被ってはいますが、汗をかくことについてはそれほど苦痛を感じません。最も、だらだら汗だと見た目がみっともないかも・・・?
夏はやっぱり、汗をかいて、冷たーいお茶を飲んで、そいでもって団扇であおぎながらお喋りをするのが一番です。もし冷たいビールが1本冷蔵庫にあればラッキーですが、無くとも冷たいジュースで充分です。

電車にのり、窓から見える夏の情景を見つめていたのですが、頭の中は想像をしています。・・・そうです、64年前の今日、広島で被爆して生きながらえている人達は、生き延びるための水もなく食料もなく街を放浪していた。誰一人として一昨日に何が起こったのか?これから日本はどうなるのか?判らない。瀕死の人達を救済する人達もいるに入るが、病院は破壊されているので、満足な病室もなくただ寝かされ時間が経過し、どんどん息を引き取る人が増えていく・・・

まだ、原爆の放射線により、こうした人体への悪影響が進行していることは誰にも判らなかった。ピカドンが一体どういった兵器なのかが判ってくるのは、もっともっと後からのことです。

被害にあった人達は、一体何の罪でこのような被害を受けたのでしょう?
お年よりから子供に至るまで、街の中の一切合切が破壊され、未だに行方が判らず遺体も確認されていない人達も沢山いる。

こうした原爆投下が、当時1回のみならず2度目も実行された。

廃墟と化した広島から離れた、九州は長崎に今度は2発目の原爆投下がされた。一瞬の光線に何万人もの人達が即死し、街全体が焼き尽くされた。まさか、2度にわたる原爆投下が行われるということは時の日本軍部は予想していなかった。動揺と混乱が指導部に渦巻き、一週間後に日本はポツダム宣言を受け入れることとなる。

軍部が起こした戦争に、国民全体が巻き込まれ、天皇のために命までも捧げていった人達が何百万人もいる。無残な戦争に命を落とした人は、2度と帰っては来ないし、いくら軍人年金を貰っても引き合う代償とは言えまい。民間人の死者には一切年金等は降りてはいない。空襲で死亡した人は、外地で兵士として死んだ人達と比べて、大損をしているわけです。

一体全体、何故こんな不平等な保証をしているのでしょう?同じ戦争でなくなっても、こんなに待遇に差別がある。

戦争の記憶はどんどん風化し、空襲の恐ろしさを体験した人達は残り少なくなってきた。
でも、お年寄りたちのこうした記憶を私たちは大切に語り継ぐ必要があると思う。
・・・そして疲れたら、また空を見上げてみればいいのです。
きっと明日も、広がる夏の青空の彼方に、私たちには見えることがない宇宙の神秘が存在し、歴史の中で繰り返される人間活動が血なまぐさい戦いを常に繰り返してきたことが示されている。
もっと、人間は地球や宇宙に対して謙虚となり、人間以外のことを視野に入れた慎ましい生き方を身につけていく必要があると思う。




この雨が降る前の、まん丸お月さん、雲の合間から見えていたんです。
最大に望遠で取りましたが、月って偉く遠くに浮かんでるんですね。
月自身じゃなく、太陽の反射だけど、月明かりは人の心を洗う力があると昔の人は話しています。
そう思ってじっと月明かりを見ていて、時間の経つのを忘れて眺めていたら、いつの間にか、自分の中の雑念が消えていました。