日本の基地問題を考える。

今また、沖縄の基地問題が政治的焦点となっている。
普天間飛行場の移転を、13年前の自民党政権時代に米国と約束した経緯があり、それを実行すべく名護市の辺野古に移転する計画がある。
しかし、どんな条約も政権が代わり国家としての考え方が変われば他国との関係も変化するものだ。
一度約束をすれば、何が何でもそれを守らなければならないという考え方はあまりにも国民の政治的選択肢を狭めるものではないか?

考えてみればすぐ分かる。
沖縄は、64年前の戦争時に最も戦争の犠牲を強いられた地域だ。人的にも県民の多くの老若男女が戦いの中で死んでいき傷ついた。地上戦で県民が巻き込まれた地獄絵は、今なお生存者により語り継がれている。
こうした沖縄の悲劇は、戦後も引き継がれた。基地と云う形で、沖縄中に米軍施設が駐留したままとなっているが、実に在日米軍基地の72・4%が沖縄に集中しておかれているという。
しかも、沖縄は、本土を含めた広さとしては0・6%でしかない土地面積にもかかわらず何故こんなにも米軍施設を集中させたままとなっているのか?こうした事実を私たちはちゃんと認識しているだろうか?

ここで考えなければならないこと、それは沖縄の苦しみ。
戦中も、戦後もずっと戦争の犠牲となりそこに住む人たちの生活は命を軽んじられてきた。遠い昔は、南の平和な国として暖かい南国の島で人々は平和に暮らしてきた。しかし、日本という国への併合は沖縄に繁栄をもたらすどころか戦略的拠点として戦争の道具とされ国家の軍事的盾にされて踏みにじられてきた。

沖縄の人達にとって、太平洋戦争の終結は新たな米軍による基地の町としての蹂躙される歴史の始まりでしかなかった。
形の上では日本の一部となり、憲法上の権利が保障されているといっても、米軍基地を生活環境から除外することが許されない矛盾をずっと抱え込まされてきた。
こうした沖縄の叫びを、本土に住む私たちはどれだけ分かっているだろうか?沖縄の人達は、いざ戦闘状態が勃発すれば最も相手国からの攻撃を受ける可能性を背負わされている。生活のために基地の仕事を担い、軍事用飛行機がひっきりなしに上空を飛び交う騒音環境の中で暮らすことを余儀なくされている。
こうした沖縄の矛盾を、今回の移転問題に絡めて本来どう見ていくべきなのか?考えねばならないだろう。
もはや沖縄に基地を押し付けて強いる時代に終止符を打つ必要がある。
本当に米軍基地が必要かどうか国民的議論を行い、もし今後も必要ならばどういう形で、どこにその基地を置くべきか?を洗い直すべきだ。

今こそ沖縄の人達と一緒に声を合わせていきたいと思う。
「私たちの町に、基地はいらない。平和な沖縄をください。日本のどの地域にも基地はいらない」
・・・平和とは、世界の住民が手をたづさえて声を挙げ、軍事的施設を廃棄して食物を育て樹を植えて森を作り、今なお飢えて死んで行く人々が普通に仲良く生きていくための事業を推し進めるべきだ」と。
莫大な軍事費を、この先の世紀において縮小し、それが平和的事業に転換できる仕組みを作り上げる必要があると思う。