戦争は必要悪か?

ノーベル平和賞受賞演説で、米国オバマ大統領が自国の戦争を指して、「必要に迫られ正当化できる戦争もある」と述べ顰蹙を買った。
核兵器の廃絶を謳い、巨大軍事大国の頂点に位置する人物が核兵器削減への意欲を見せたことにより、ノーベル平和賞という栄誉を与えられたことについて、世界から賛否両論が渦巻いたが、平和賞委員会の決定は揺るがなかった。・・・それは、確かに実績と云う点ではまだ未知の期待値ではあるが明らかに平和へ向かっての並々ならぬ決意と情熱が展望しえるという観点から今回の授賞決定がなされたという。
ところが、授賞式のふたを開けてみれば、オバマ大統領の真意が自国のイラクアフガン軍事作戦を正当化するような発言が飛び出してきた。

新聞の声欄などには、オバマ氏の演説に対する批判が目につくようになり、マスコミももちろん米国大統領としての職務に関連付けて、初戦口先の美辞麗句と実際の政治政策は異なることを皮肉めいて論評し始めている。
考えてみれば、彼がもし本物の平和主義者であれば、米国の大統領にまで上り詰めることは出来なかったはずだ。
ブッシュの後を引き受ける指導者として、あからさまな好戦的軍事政策の変更を行うとしても、180度転換して米国を平和主義的国家に変貌させることなどどう考えてみ夢物語だと思う。

だとすれば、オバマの本心が何なのか?を見抜く必要がある。

戦争と云うものについて、それを必要悪と考える政治家は掃いて捨てるほど存在する。
だからこそ、地球上から国家間の戦争は途絶えることがない。
また宗教や人種の違いが、経済的な軋轢を作り出し、国境という社会的な溝が固定化して不必要な対立を仰いでいる国際関係が今なお世界を凌駕している。
こうした、世界の軍事的緊張をどうすれば解消することが出来るのか?これは政治が解決しなければならない最大に障害であろう。

日本の憲法は、内実的なメッキが剥がされつつあるとはいえ、不戦の誓いを明記し、他国を侵略せず軍隊を持たないことを明言している。
この平和憲法を、世界に広げることを今こそ思い起こすべきだと考えます。
核兵器はもちろん、不必要な軍事費を削減縮小し、いつの日か軍事的な予算が全て福祉や国民の民生事業に転換できる政策を断行することが地球上に平和をもたらす最大の近道であることを確認したい。

先日、大阪は淀川に架かる橋の上で空を撮ってみました。

此方は、冬樹が青々とした葉っぱを空いっぱいに広げている様です。