税収確保から、健康増進への転換。

2010年度、鳩山内閣税制改正大綱が決定された。
その中で、たばこ税に関する決定において一箱当たり100円の引き上げが確定した。1本あたりでは税金付与分が現行の8・3円から12・2円に引き上げられることとなり、販売に関わる公社等の利益も換算して表記の通り20本で100円の引き上げ幅と説明されている。

はたしてこの値上げをどう評価するのか?喫煙者と非喫煙者の評価は異なるだろうが、当然国民の中には両方の意見が相対立する。問題は、行政府としてどういう判断を下すのか?に視点を向ける必要がある。
前政権では、評価の基準を安定した税収確保に置き、国民の健康維持は後回しにされてきた。この政策がもたらしたものは、喫煙が原因とみられる疾病の増加再生産の歴史ではなかろうか?長い間、喫煙がもたらすがんなどの誘発要因を一方では認めざるを得ない医学的根拠がありながら喫煙行動は規制をされることなく放置されてきた。しかし、明らかな煙害を有効に規制する必要性は逼迫している。大手を振って人前で喫煙が出来るマナーは、国を挙げて変えていかなければならない。

今回、鳩山内閣は健康増進へ大きく舵を切るべく、一箱にして100円アップを決定した。これは、文字通りの健康優先論理としては不十分だ。一箱にして欧米並み(一箱600円から800円)の価格に比較して、まだまだ今回の上げ幅は低すぎると云えよう。思い切った上げ幅を設定するには、今回の決定はあまりにも税収懸念への配慮を盛り込みすぎていると云えよう。
たばこの税を、国の税収源としてあまりにも偏重してきたこれまでの考え方を、今後は新しく塗り替える必要があり、そのための議論と手続きが未成熟であると云えよう。

この意味を考えてみると、日本における喫煙に対する習慣とたばこ政策と云うものが、あまりにも人間の健康を損ねる理論により優先されて実施されてきたことがあると思う。これまでの「たばこ事業法」と云うものが、国の税収確保が最優先される仕組みとして作られており、あの手この手でたばこ銘柄を作り出して喫煙者を維持増大させる営業政策が行われてきた。今でこそ遠慮深げな広告としてたばこ宣伝を規制されるようにはなっているが、それでも喫煙の広告が継続的に流されて青少年の喫煙率がに対して深刻な影響を与えていることは誠に憂慮すべき問題です。

たばこの喫煙と云う問題について、さらに国民的議論が深められ健康優先の政策が社会に浸透することが不可欠です。

鳩山政権は、税収確保論者に配慮し、無難な一箱100円値上げ案を決定したが、これはまだ新しい健康増進プランの第1歩でしかないと云えよう。
従来の自民党政権が行ってきた値上げ幅からすれば大きな転換であることを踏まえ、今後たばこを吸わない文化と、煙の無い生活圏の拡大政策は不可欠であると思う。この意味では、今回のたばこ価格改定は、健康増進優先政策に転換するたばこ税に変遷していく上での初めの1歩=1経過点にすぎないと言えるのではないか。

むかし、週十年前の映画では有名俳優たちがカッコよく喫煙する姿を映し出し、たばこを燻らすシーンが数多くありました。そうした映像をずっと見せられてきた私たちの世代は、喫煙することが何か大人としての心の奥域を押し開くことのように錯覚する体験を多少とも持ち合わせているようです。・・・これはJTのイメージ作戦が功を奏している事実ではありますが、これからの「たばこ観」を子供たちに養っていく為には必ずや克服していかねばならない大事な「つぼ」でもあると思います。

大人として物事に苦悶し、悩みあるいはストレスを抱えることは避けられませんが、それはたばこを吸うこととは別のことなのです。
たばこを吸わなければ、そうした思考や葛藤が結び付かないような錯覚を引き起こすきっかけ作りに、たばこの広告宣伝が活用されていることにかんがみ、不必要なメッセージを出させない配慮が大人として求められると思う。善悪判断を明確に持つ大人の場合は自己責任の部分でくくられるとしても、未成年の子供たちがJTの「甘い誘惑」に乗せられて喫煙習慣にはまることはまさしく有害情報以外の何物でもないのです。
ただ、何故喫煙しないのか?の意味を問うことなく強制的に禁ずることでは問題解決にならない。健康理論や文化的な教養として喫煙がもたらす煙害の事実を正確に認識させる必要があると考えます。
私も、ぜひとも初等教育においてたばこの喫煙問題を生徒たちに伝える教材が必要だと考える一人です。
単なる道徳的禁煙や、教条的な禁止では本当の意味での喫煙問題の見識は育たないように思えます。

我が家の年賀状作り、ようやく制作完了しましたが、この通り出来栄えは如何でしょうか?
虎、トラ、とらで、福バラまいた。きっとタイガースファンには堪えられない正月でしょうね。

夕焼けが、電信棒を溶かして炎上しています?