「盗人!」呼ばわりを受け止められる対人援助技術とは?

今週はいろいろ仕事でありました。
・・・二人しかいない職場で、相方が腰痛症にかかり職場に出てこられなくなりました。
 
 幸い、月末の訪問等は済んだから良いものの、もしこれが1週間ずれていれば請求時に減算を覚悟しなければならない事態でした。(居宅介護支援の仕事で、決められた仕事が出来なければ事業所の自己申告で請求の何割かを減らすことが義務付けられている。もし、不正に減算請求をせずに通常通りの請求をし、それが行政の監査等で摘発されれば何年も遡って報酬を返還しなおかつ事業所は営業停止等の処分を受けることとなります。)
 承知のように、月初めは前月実績の請求時期です。ところがその時期に一人で事務所を切り盛りしなければならない。・・・かなりハードな毎日でした。今週ずっと一人で仕事を回していたので、さすがに手が抜けずストレスがたまり、平常心で対応することが大変でした。
例えば、事務所でトイレに入っているときに電話が鳴る、・・・もちろん出すものはしっかり出すんですが?落ち着いてトイレに入っていられない。一度はズボンのジッパーもそこそこに電話を取りに向かったこともあります。もちろん、相手方には「失礼しました!ちょっと○○に行ってましたので」とは言えないので澄ました声して対応する。
そして要件を聞いて電話を切ってから大きなため息を出す「ふぅ・・・」といった具合です。こんなことが続くと、当然ストレスがたまる。

 これが初めから一人で切り盛りしている事業所ならば、こうした仕事の在り方が通常の状態なので、ストレスはかからない。しかし、二人でやっていた事業所が、いきなり一人でやりぬかねばならなくなればそれは簡単なことではなかった。
でも、そもそもこの事業を一人でもやろうと思い立って開業し、運良く二人でスタートすることが出来た経緯があるのです。
・・・ですから、相方が病気で動けなくなってその間に一人で仕事を回す必要が出ても何ら予想できない事態ではないのです。・・・つまり、危機管理能力があれば、こうした事態に対する対応も十分備えていなければならない。
ところが、自分はこんな事態が急にやってくる可能性があることを考えていなかったのです。
・・・これは、所謂先の予想が欠落していたことを示しました。
 この仕事は、投資と言えば仕事を担う資格を持った人間に対する投資であり、その専門職がどれだけの業務効果を生み出せえるのか?仕事をやってもらわないと分からない。もし、「出来ないケアマネ」を雇ってしまうと、結局は人件費の無駄な投資に行きつき、遅かれ早かれ次のスタッフを雇わなければならなくなる。
 経営者としての立場で考えると、いかに「仕事ができる人材」を確保できるか?が事業所を確立するうえで不可欠な要素となり、そこでこけてしまうとこの仕事は成り立たなくなる。
 病気をするのは人間なら致し方ないが、こうしたことが重なると、やはり人材としては”不適切”な評価を下さなければならない。

 年齢はあまり問題にしていないのですが、幾つになっても向上心を持たない人はこの仕事は向いていない。
 常に自分の仕事の在り方や対人援助技術取得に対して、上に伸びようとする気持ちを持つことが大切なのです。
 ことある毎に、仕事のやり方やあり方について話し合いをしてきましたが、自分がどう舵を切るのかをその人に代わって行うことはできないと思う。
 不安要素が多くなり、マイナス思考が少し高まってしまったようにも思いますが、こういう時こそ反対にプラス思考をしていきたいと強く感じます。
だって、そう考えていかないと、自分の理想に対する意思と意欲がへしゃげそうになるから。

一番つらいのは、自分の努力に答えてくれる相手がいないということかな?

ところで、表題のことですが、今週あるお年寄りの訪問時に、いきなり「ようのこのことやって来たな!この盗人めが、部屋に入るな、帰れ!」と怒鳴り散らされました。

 もう何年もお世話をしてきた一人暮らしのお年寄り男性ですが、少し精神的に被害妄想を持ちやすい方で、今までも誰かをターゲットにして「あいつは○○を盗みやがった」「俺が居らん間に部屋に入って持っていった・・・」等言われることがありました。
今回は、なんとケアマネの私が大切なものを盗んでいったと思われ、私が訪問時に怒鳴り散らされたということです。

最初は何を怒られているのか?聞き出そうとする自分があり、大声を出して発言する利用者の声に負けないくらいの声で私も「私がそんなことをする必要がありますか?今までそんなことをしましたか?よく考えて下さい、落ち着いて話し合いましょう・・・」と相手を宥めようとしましたが、私が力説しようとすればするほど、まさしく火に油を注ぐ形で持っている杖を振り上げんばかりに目を吊り上げて「入ってくるな、帰れ!」と叫ばれる。
 もうこれは、どんなに努力をしても分かってはもらえないと我に返り、その日は帰りましたが、事務所に帰りながら久しぶりに泣きたいくらい情けない気持ちを持ちました。

「こんなに支援をしてきたのに、なぜ今自分が盗人になり、利用者に追い出されなければならないのか?」という思いが湧いてきたのです。

その日から数日、頭のどこかにあの利用者の怒りの矛先を感じ、不安な気持ちが渦巻いてきます。
自分の身に覚えのない罪状を決めつけて宣告され、それに対する弁明が許されないという不条理に、納得が出来ない自分があります。
もし、これが高齢者=要介護者じゃなければきっとブレーキはかけられず相手に対して攻撃的な抗議をしたと思う。通常の社会では、こうした決めつけに対しては人権を傷付けられたとして訴訟をしてもおかしくないわけです。
 しかし、相手は自分がお世話をしている要介護状態のお年寄りです。それも正常な精神状態とは判断されない人から、非人間的対応を受けたとしてもそれは人権問題とはならないでしょう。
そうした問題は、専門職特有の被害体験として、水に流さねばならないものだとされてしまう。
 実際には、介護の仕事に着いていて、利用者等から重大な人間的被害を受けた場合それは通常の人権問題とは扱われない。
でも、やはり人権問題としては無視できない被害であり、支援する側の人的被害を防止し、人格を守るすべが高じられる必要がある。

今はこう考えています。
対人援助技術とは? たとえ利用者が援助者に対して人間的に傷つけるような言動をしたとしても、それをしっかり受け止められることができること、ここからしか対応は始まらない。
どんなに理不尽なことをまくし立てられたとしても、いったんそれをキャッチして、それからゆっくりと相手のレベルに合わせて噛み砕くように説得を試みる必要があるのです。それが出来ないと、油に火を注ぐ対応となる。
 今回、久しぶりに人権を否定されるような言動を自分が受け、ひどく気持ちが傷ついた。このことは否定しようがない。
しかし、相手はそうした言葉がどれほど不当なものなのか?については一向に気が付いておらず、自分が感じた判断が完全であると信じている。・・・こうした状況では、どんなに議論や説明を加えても効果は期待できないかもしれない。

 対人援助職の力量とは?こうした状況下でも、いかにして相手に対して教育的な配慮が出来るかどうか?考えられる対応が求められる。
このことは、相手の言うがままに決めつけを認めることとは異なるだろう。決して認めることはできないが、対象者が今そう感じているということについてその相手の思いを受け止める技術が求められる。

 つくづく感じます。
他者を支援するという仕事は簡単なことじゃない。生半価な気持ちでは大きく躓くこととなる。

 今回のような体験が日常的に被ることになれば、おそらく自分は平常心で業務を継続することは不可能と感じます。
つくづく、自分は鍛えられていない。そのことに気付かされたことは、貴重な体験です。
 
PS:悩んだ末、今回のことは地域の包括支援センターに相談しました。
話したからと言ってすぐに解決できる話ではないけれど、悩みを聞いてもらうだけでかなり自分の気持ちが軽くなったように思う。
今後、どうこの問題が推移していくのか?予断を許さないけれど、対人援助職として、ふさわしい対応をしていきたいと今は冷静に考えることが出来ます。

おしまい。

・・・もちろんこのショットは、一月ほど前のスナップですが、空と朝顔ってよくマッチすると思う。
この写真を見ると、なぜか心が癒されるような気持ちがします。

昨日、久しぶりに日の出を見てきました。
携帯でとってみました。
朝日って、すごいエネルギーなんですね。
改めて、その力に心を打たれました。昔の人は、これに手を合わして拝んだんですものね。