流転の子 本岡典子著をよんで

 8月24日のブログ記事で紹介した、本の題名は、「最後の皇女・愛新覚羅嫮生」流転の子 という題が付いていました。
 最後のエピローグまで含めると445ページにわたる力作です。この本は20年以上、の月日をかけて温められ、取材をし、実際に生き証人からの情報を整理して書かれたものなので、記事の内容については単なる作者の想像や趣味で作られたものではないことが分かります。
 最初は、出てくる人物の名前が中国名あるいは普段使わない漢字が使われるのでなかなか読み慣れず、読書に時間がかかりました。しかし、次第に物語に惹かれて読み進むうちに、満州国の建国から崩壊と、日本の関東軍の影響力が、どのように皇帝一族を操作していったのか?がつぶさに理解することが出来ました。やがて溥儀や溥傑の妻子供たちは、大きな時代のうねりに巻き込まれ、広大な中国大陸を敗走し、安住の地を求めて次から次へ放浪のを重ねることとなります。妻や子供たちは、逮捕された皇帝たちと別れ、それぞれ生死の淵を分ける逃避の後、あるものは殺され、あるものは病死する。壮絶な戦後の混乱をすり抜けて、溥傑(溥儀の弟)の二人いる娘の内の下の皇女と、妻浩は、命からがら1年半の逃避を経て、安住の地である日本に帰ることが出来た。・・・この戦後の混乱期における、溥傑の家族の体験については、のちに作者本岡さんが、嫮生本人や当時行動を共にしていた人々から話を聞いて、歴史に記されていない想像を絶した体験を記録し、この本で紹介されている。

 満州国家は、関東軍幹部が、日本の影響力を基盤にして、愛新覚羅の清朝末裔である溥儀を担ぎ出して作り上げられたことは歴史の中で明らかにされているが、その実際の皇帝の弟溥傑の家族がどのような生き様をしたのか?については、不明な部分が多かった。
 作者の本岡さんは、月日をかけた取材の中で、現在もまだ生きて話が聞けた人々の証言を集め、70年前の出来事を鮮明に映し出してくれている。
 日本に帰ってきた、嫮生氏はのちに日本人実業家の福永氏と結婚し普通の民間人として子供を産み育て、現在も神戸のちに住んでおられる。当時の混乱と動乱の時期に、何を体験し、何を感じているか?しばしば講演等に招かれて話をされる日々を送っておられるようです。映画にもなり、こうして本にも書かれた彼女の人生は、戦争を知らない、満州国を知らない世代にも、人を引き付ける物語として語られていくだろうと思う。
 戦争は、亡くなっていった兵士や家族、蹂躙され殺戮された人々は勿論ですが、「偽皇帝」としてたてまつられて生きていかざるを得なかった一握りの人々にとっても、どれほどの悲劇と苦しみを敷いたのか?がこの本を読むと理解できる。溥傑は、実は愛妻家であり妻の浩を終生愛し思いつづけたことが書かれている。シベリヤ方面に捕えられて拘束されていた十数年、いつも妻のことを思い娘たちのことを心配して手紙を書き、希望をつないだという。溥傑に妻子がもしいなかったなら、彼は絶望の淵で生きる希望を失っていたと思われるが、彼は生き延び、釈放されることが出来た。やがて妻子を呼び寄せ、中国で暮らす日々が訪れたが、一般人民の一人として、庭師の仕事に精を出したり、堅実に労働をすることをいとわなかったという。

 溥傑と家族の写真が本の中に収録されているが、眼鏡をかけて笑っている彼の顔は、普通の家族思いの中国人男性そのものであり、優しさが溢れている。
 一方嫮生には、中国人ではなく日本人として、普通の女性として生きる選択が出来る強さが備わっており、父や母のことを忘れず、必要な援助を惜しみなく注ぎ、妻として子育てをしながら今日まで過ごされてきている。
 愛新覚羅の一族のことについては、まだまだ知らないことが多いが、この本で紹介された溥傑の家族については、それぞれの人生がどのようなものであったのか?つぶさに知ることが出来有意義でした。
 この本で書かれてあることを、これ以上上手くここで紹介することは私には難しいのですが、興味のある方は是非、本岡さんの著書をお読みください。映画やドキュメンタリーでもNHKでも放映されており、今後も見て戴く機会はあると思います。
 最後に、このような本を書こうと決意し、20年以上の執念を実らせて本を発行された本岡さんに敬意を表し、福永嫮生さんが今後も穏やかに家族と共に過ごされていくことを願います。
 
 まだ、我が家のベランダでは、毎朝、遅咲きの朝顔たちが、顔を見せてくれています。