no36三好春樹さんの講演会に参加して。07年1月。

昨日、港区にて三好春樹の講演会を聞きました。

なまで彼の講演を聞くのは、今回初めてですが、よく笑わせてくれました。今日の聴衆は、地域のネットワーク委員のおばさんなんかが多く居たので、ちょっとその人達に合わせた話になりました。もちろん、遠方からの三好ファンも沢山集まって来られており、予定の300人をクリアする盛況だったと思います。



昨日の話で思ったことは、

1・話の内容もともかく、人を退屈させずにしっかり笑わせながらメッセージを伝えることの大切さ。・・・これは、いくら良い話、高等な話をしていても、眠くなり退屈になってしまっては宝物を道路に撒いているようなものです。

やはり、楽しく学んでいただく、と言う側面が不可欠だと感じました。・・・特に、初心者の方が多い場合は、こうした配慮が為されることが肝心だと思います。

難しいことをこねくり回して論ずることは簡単かもしれません・・・少しばかりの知能と暇と信念があればそれは可能ですが、人にその事を判って貰う為にはどれほどの努力、失敗苦労が伴うものであるのか?を改めて感じました。



三好さんの話には、こうした経験と、自らの信念に対する自信のようなものがこもっていて、『さすが』と思いました。



2・それから、ちほうという言葉について、持論の呆ける・惚けるの意味を説きながら、どちらかと言えば惚けるという意味の方により親密感があることを説明されていました。

最近、『認知症』と呼ぶ言い方が定着していますが、それもあまり良い呼び方だとは思わないこと、むしろ、誰かを惚れるという時に使う、惚けるという言葉の方が相応しい表現であること、を話されておりました。 昨日の講演会のテーマが、『惚けてもいいね』でしたが、認知症というとどこか他人行儀で人の暖かさが欠けるような気が私もするのです。

こうしたことを考えれば、惚けても良いやん!と言って貰える事が、本人にとって安心できる関係造りに最適なんじゃないかと思うのです。



また、惚けだしたお年寄りを、家族だけで、取り分け一人で介護し続けようと頑張るんじゃ為しに、大いに、訪問サービスや、通所サービスを使いなさい、と奨められていた。

一人で対応していては、ストレスもあまり良いことが少ないこと、それよりも旨くそうしたサービスを利用して、お互いが適度に自分の領域を確保し、息抜きもして自由に暮らしてゆくやり方を見つけなさいと話しておられた。

こうした主張は、新しい話と言うよりも、今まででも散々言われていることなのですが、それを笑いと興味在るお年寄りの体験談などを交えながら話してゆかれるので、参加した沢山の方が退屈せずに楽しんで講演を聞いておられた。 恐らく、これだけ聴衆を笑わせて介護の話をする人は、三好さん以外に私は知らない。・・・漫才や落語家ならば、あるいはそうした能力のある噺家は沢山居るかもしれないが、介護の分野でもそうした話のプロが存在していることに、大変心強く満足した次第です。 今回、社恊の手配により、彼の講演が実現したのですが、三好さんの講師要望(お金がかかっても良いなら、彼を推薦してみたのです。・・・きっと面白いと思ったので)を受けてその実現を手配して頂いた包括のスタッフさんの配慮に大変感謝したいです