no37前例の無い高齢化社会を前にして目指すべきものは?

 今後、世界中で年寄り達が増え、子供が減少すると言う現象が行き渡ったら、人間の食べるものがどうなるのか?を心配する学者がいる。
先進国と、後進国の違いがあるから、一律に高齢化が進むわけではなく、インドやアフリカ諸国では人口の爆発的な増殖が今も継続しているらしい。こうした人口増大諸国では、子供たちの死亡率も高いから、ストレートに人口の爆発的な増大には繋がらないと言われている。

先進諸国と言われている西欧諸国や日本では、高齢化は深刻だ。5人に一人が65歳以上の年金をもらっているお年寄りが日本に住んでいる。
当然、2割の高齢者が、どれだけ就業に参加するのか?が大事なテーマになる。65歳以上になっても、社会的な役割を果たせる人が、相応しい役割を担える社会にしなければ、この高齢化社会はうまく機能しない。

単に定年性の見直しだけではなく、ボランティアや様々な地域の役割と活動の中にそれぞれの居場所があることが最優先されるはずだ。・・・年寄りになり、会社から放り出され、地域や社会に高齢者が参加する居場所が狭まれば、一体高齢者はどこに行けば良いのか?年を取り、能力が減退し、今まで出来ていたことが出来なくなり、人の世話にならねば一人では出来ないことが増える。・・・当然そこには、支援する人の「手」が必要になる。

 ここに衝撃的な統計があります。
2055年には、65歳以上の高齢者が、3500万人を越し、人口の4割が高齢者になる計算だと言う。これは、高齢化比率として06年の2割の倍です。お年寄りが倍に増えている計算です。現役世代の1・3人が、高齢者1人を支えることになるという。こうした数字をどう受け止め、何を準備する必要があるのか?
確かに、これだけの高齢者が社会に増えること事態は、尋常な人間社会ではない。・・・この事態は、先の戦争で多数の戦闘員が死亡し、敗戦後に急激な人口増加と経済成長が裏付けられて出現したものだろうが、人間はこの事態をうまく乗り切れるのだろうか?
キーワードは、健康です。

高齢者だからといっても、健康な人も沢山いる。健康な精神・肉体を持つ人達は、長く生活を楽しみ、社会貢献を身に付け、若い世代とも調和する道を見つけていけるはずです。特段の、若い世代の支援を受けることなく、生活していくことは可能です。
問題は、こうした健康な高齢者層がどれだけ増えるのか?逆に言えば、病気に罹らずに、次第に老いてゆく肉体とバランスを取りながら、何処まで人間は生活を維持し、生活をエンジョイしていけるのか?と言う問題でもある。

高齢化問題は、今後50年以上継続して考えていかねばならない問題です。”付け焼き的”な、その場凌ぎの政策では旨くいく筈がないのです。いわば、その国の文化として、高齢化の問題が考えられ、工夫され全ての人が知恵を出していかねば克服できない問題でもあると思います。
現代の日本は、利益を最優先する企業社会が出来上がってしまっているが、そこで失ったもの、欠落したものを、今後どう取り戻すのか?それぞれの人に問われていると思う。技術が発展し、多くのものが作られても、そこに心が残っていないならば人は生きていくことが出来ない。
もちろん霞を食って生きていくことは出来ないから、物質的な豊かさは不可欠ではあるが、だからといって、ものがあれば人間が幸せに暮らせるのかどうか?ましてや、地球上の他の動植物を支配して、人間だけが好き勝手に繁栄する歪んだ社会では、おのずと破綻は遣ってこざるを得ないでしょう。

 当然、人間の活動にも自然全体から見た規制の枠組みが不可欠となるのです。こう考えてくると、前例の無い高齢化社会を前にして、日本の戦後文化の見直しが求められているのではないか?と考えます。障害を持つ人も、高齢化する人も、元気な若者もすべての世代が協調して暮らしていける仕組みづくり、・・・それをもう一度作り上げる仕事が待っています。自殺者3万人の日本は、どこか社会的な病が浸透している気がしてなりません。本当の意味で人間を大切にする社会とは何か?
国と国とがいがみ合うのではなく、協力し合える関係作りを、模索し作り上げましょう。軍事拡大競争と、自衛のためと称する軍事力の増強は真っ平です。競争するなら、平和政策で各国が競争すれば良い。頭でっかちの政治家連中に政治を任すより、普通の庶民の代表が、政治を見直す方がよっぽど効果があると考えます。