no6逃げ出したくとも逃げられない・・・私たちを助けて!?

苦しいときの自分を、丁度鏡の中で見詰めているようで、心苦しいけど、思い切って叫んで見ます!

自分は、ケアマネやって、かれこれ5年になろうとしているけれど、いつも苦しさから逃げようとしていることに気が付きます。人の事を見つめ、考える事に疲れてしまっているのかもしれません。職場での、人間関係にも、重荷になることも重なり、落ち込んでしまうことが在り、その状況から、一人ではなかなか脱皮出来ないのです。
私が、”いきいき”とするのは、金曜日の夜、明日の仕事を忘れてお酒を飲んだり、テレビや映画を楽しんだり、気の合った友人とおしゃべりをしたりしている時です。仕事の事を忘れて、馬鹿な事を言い合ったり、好きな音楽に浸っていることにより、自分がしっかり解き放たれている事を実感します。敢えて表現すれば、私は、ケアマネと言う仕事が窮屈に思っているのかもしれません。仕事の中では、常に、相手の声に注意を使い、常に聞き取る側で立って居なければならない。
・・・人間、たまには、自分から興味ある話題に対して、時間をかけて聞き取る側に立つ事は楽しいことだと思う。・・・しかし、人格という、何処までのめり込んでも奥がある、底なしの沼のような広がりの中に入ってゆくと、何処まで行っても、判る範囲もあれば、又、見えない側面が現れ、果てしなく未知の行程が続くのです。ケアマネに、もし普通の人間として、感情の発露が許されるのなら、それほどストレスの溜まる仕事では無いかもしれません。嫌な事は、嫌だと言えるし、気分の乗らない時は、仕事をほったらかして帰る事も出来る。嫌な利用者から、電話があれば、忙しいから、お世話できない、と断りも出来る。・・・無理をせずに、自分に正直に、応対出来る意味では、自分に嘘を付かない生き方が出来ると思う。
しかしです。このような自由な感情表現が、現実には出来ない立場なのです。一人の専門職として、間違いのない対応を常に求められるす。
・・・人間、偶には、羽目も外したいものですが、ケアマネには、それは許されないのです。もちろん、うまく、調整が出来る人は、きっと、どこまでもケアマネとしての仕事を継続する事が出来ると思います。
・・・だから、そういう、ケアマネとしてふさわしい人と、そうでない人って、居ると思うのです。ただ、それで終わりではなく、現在のケアマネが置かれている立場そのものに、色々な矛盾が集約されており、このままではいけない、もっと人間味豊なものに変えてゆく必要がある!・・・と信じる、私のようなケアマネも又、日本中の専門職の中には多いと思うのです。
本当は、もっと、余裕を持って利用者と時間をかけて話しをし、オフィスに戻ってゆっくりその高齢者の明日の在り方を描いて見る・・・そんな、理想的なプランの立て方があっても良いと思うのです。

50人という、数に追い立てられ、毎月のケアプランの一人一人のの予定確認に追われ、苦情を聞き、必要な調整を連絡し、帳票を記入して、・・・常に、沢山の仕事と、自分を追い立てている在り方 周りのスタッフの事は得てして知らぬ存ぜず自分の事で精一杯・・・これでは、何処か、普通でない此の侭では、良くないと思うのです。
おまけに、私の場合は、経営者から、事業所としての予算額が、毎月、毎年度目標額として決められ、押し付けられ、その数字を如何に達成するのかと言う経営面での責任を、各拠点の責任者に押し付けられ、センター長と言う職務を、否応なく兼任しなければならない立場に立たされている。
・・・現在の私の場合のように、ケアマネも遣り、センター長としての経営管理も責任取らされる・・・こんな辛い状況に立たされる、中間管理職とでも云う立場の人が沢山当社には存在します。

専門職としての仕事面でのあり方を責任持ってやる事については、その努力を怠る気持ちはないのですが、経営面での採算性を云々されても、ケアマネだけの努力では、とても解決できることではないと思うのです。公正中立の立場で、ケアプランを立てる、・・・当初はこのように位置づけられ、介護保険の要としての仕事に夢も持って歩んできました。
ところが、今では、まず自社サービスを拡大するためには・・・と考えさせられる立場に立って居ます。経営者の締め付けが日に日に圧力を強めているのです。これでは、自己分裂寸前の状態である事がお分かりだと思います。
月に、何度か、定例の経営評価のための検討会が開かれ、センター長たるものは、出席を促されます。その会議で、問題になる事は、予算の策定額に対して、どれだけの貢献がされたか、予算額に対しての実績がプラスになっているかどうか、マイナスならば、その反省と、プラスにする為の方針を明らかにしなさい、と突付かれる訳です。・・・まるで、何処かの、商事会社、まさに、営業会議の渦の中に、置かれるのです。
こんな状況なので、何度か、”私を、センター長から外してくれ、営業活動をするために、ケアマネをしているのではない!ケアマネとの兼務は無理である。”と意見しても、まるでその返答が帰ってこない。最後に考える事は、この仕事を止めるしかないのでは?と落ち込んでしまいます。
・・・結局、今の立場は、逃げようとしても逃げられない、メジャー介護会社の看板を背負った、安月給の雇われセンター長兼ケアマネ・・・と言う存在です。何時か選択しなければならないと思います。ケアマネとして遣るのか、営業マンとして企業で雇われるのかが・・・

きっと、この仕事以外の仕事に付かれている方の目から見れば、何と贅沢な悩みを持っている事かと、笑われるかもしれません。
民間企業である限り、利益を生み出すための活動は不可欠なのでしょう。もし、営業活動が前に進まなくなれば、利益も又、生み出さなくなるかも知れない。
しかし、敢えて、今は、云いたい。このままでは、利益のためには、何でも遣りたい放題の会社になる。利益が第一の理念では本当の福祉が出来るわけが無い、と。売り上げ云々のために、数字をもてあそぶ・・・そんな時間があれば、アセスメントや、経過記録・モニタリング・・・やる事がいっぱいある。話し合うことは、如何に儲けるか?ではなく、如何に、ケアマネジメントしてゆくのか?であるべきだ,と。
何処か、歯車が狂ってしまっている。この事を、会社の内部から声を上げて行かねば、誰が修正するのか?経営者は、私がいくら叫んでも、今の”成果第一主義”を貫くだろう。良し、それなら、此方も、負けてはいられない、何処までも、企業の実態を暴露して、あるべき企業体を提起してゆこう。頭の良い経営者が、何時か登場する頃に、始めて、この意見を聞き取ってもらえるのかもしれないが、現状では、いくら正論を述べても、”豚に真珠”です。馬の耳に、念仏です。

労働組合も又、現実の企業の方針に対して、無力である。日夜、不可解な活動方針に悩まされているのに、何の有効な反撃も出来ない。社員の利益、専門職の利益を擁護する労働組合とはまだ、未だ生りえていないのが実態です。福祉の業界では、こうした過酷なノルマに悩まされているケアマネジャーは沢山いると思うのです。これでは、先々の日本のケアプランはどうなるのでしょう?
本日の御清聴、まことに有難う御座います。これにて、ご就寝と致します。(^_-)-☆