No22.利用者を満足させきれないストレスと、私の夢

答えきれない要望と、実現できない要求を前にして、途方に暮れてしまうことがあるのです。本来ならば、問題を処理する努力で何とか信頼を勝ち得る事が出来れば良いのですが、駄目なときは、何を遣っても上手くいかないもの。1人のケアマネでは、もうどうしようもない事があるのです。



大事な事は、信頼関係です。

お互いに、相手の立場を尊重し、自分の言い分だけではなく、相手の思いも受ける事が出来れば、そこにはコミュニケーションが成り立ちます。コミュニケーションさえ通じていれば、少々の意見の違いや、立場の違いが存在していても、お互いをい理解し会う基が失われてはいないのです。

ところが、一つ、信頼関係のタガが外れると、今度は元に戻そうとしてもなかなか元には戻らないものです。人間の心とは不思議なもので、何年もかけて築き上げた信頼関係というものが、一瞬にして崩壊する、といった傷つきやすい性質のものである事を、誰もが体験して知らされます。



事、ケアマネと利用者や家族の関係だけではなく、夫婦や友達、あるいは家族の関係においても、同じ事が言えるかも知れません。

普段は、ものすごく仲がよく、お互いに信頼し在っている仲であっても、ある事件、ある経験をきっかけにしてお互いの信頼関係ががたがたと崩れ、仲たがいをし、相手を憎みだす・・・このようなことが起こります。勿論、一時的な感情で収まる事もありますが、どうしようもない不信感で埋め尽くされてしまい、関係の破局となる事も多々あると思います。ちょっとしたボタンのかけ違いから、お互いの信頼関係が崩れる事は、何処にでも起こりえるからこそ、必要な事は、事実をしっかり捉える必要があるのです。そして、相手の本心をしっかり確認することも必要です。



利用者さんへ、正直に自分の間違いを告げて誤る事も必要です。自分の言訳ばかりをしても、効果は見込めません。正直に、自らの非を誤る事の方が先決だと思います。誤りがあれば、早くそれに気づく事。そして、直ぐに誤りを詫びる事が重要です。



振り返って考えて見ると、人間ですから、様々な誤りや思い違い、誤解などをするものです。大切な事は、それに気付いたら、早急にまず相手に誤る事と、誤りを訂正する事。問題の処理については、必ず、相手の気持ちを考え、同意を得て解決策を進めること、だと思います。



先日も、ある利用者さんに、こっぴどく叱られた事がありました。

利用者の要望するサービスが提供できない理由をサービス事業所へ回答を求められ、其の説明に満足されず、もう一度ケアマネに其の説明を文書で取ってくる様に求められました。

自分としては、事業所の説明で十分よく判るのですが、利用者が其の説明では駄目だと云われる。やむなく、もう一度、誠意を持って文書で説明を書いて頂くよう事業所へお願いする。そして、其の書かれた回答を利用者にお持ちする。利用者はそれを読まれる。・・・そして、激怒されたのです。受け渡しするケアマネに。



曰く、「君は、この回答を読んだのか?以前の云っている事と同じ内容でしかない。こんな文章を君は認めるのか?」と云われ、ケアマネとしては、「内容に間違いは無いと思います。」と答える。ところが、其の発言が叉相手の思いと食い違うので、怒りに油を注ぐ事となり、「お前は、それで、ケアマネとして、遣る事をしているのか。何のために、私のケアマネをしているのか!」と詰問される。ここまで来ると、冷静な対話からは外れてしまっている事が分かるので、相手の気持ちを静めるために、自分の力が足りなく、不愉快な思いをされている事を誤る。・・・しかし、相手は納得されない。そして、次々に今度は、ケアマネ攻撃の言葉が出てくる。・・・



サービス事業所への不満と怒りから、今度は、ケアマネへの非難に風向きが変わってきた。何度云われても、上手く調整出来ない自分に非があると思い、ひたすら、利用者の怒りが収まる事を待つが、一向に収まらない。散々、苦情を云われ、沢山の怒りを受けきれず、利用者宅を引き上げる頃は、気持ちはもう"ふにゃふにゃ状態”。「何で、こんなにぼろくそ云われなあかんのか」と情けなくなってきたりして。



この様な、打ちひしがれた状態でも、事務所に帰ると、叉、別の色々処理をしなければならないことが沢山待っており、気持ちを切り替える事が必要となる。本当は、誰かに、この遣り切れない思いを誰かに聞いてもらう必要があるのですが、一つの拠点の長となると、なかなか弱みを見せる事が出来ない。ましてや、他のメンバーの相談を逆に聞く事の方が多く、とても、自分の「心のケアー」をして貰う余裕がない。



ふと思うことがあるのです。こうした、中間の管理職は、誰に愚痴を云ったら良いのかと?世の中には、こうした中間の立場で心身をすり減らす人が多い事だろうと。



私の場合、自分を会社の管理職とも思っていないので、(形だけは、センターの責任を任されているが、実のところが一銭の自由な采配資金も割り振る事の出来ない、叉、特別の責任者としての給料も貰っていないから)センターで働くメンバーとの対等な意見交換が一番大切と思っています。お互いの思いと、役割分担を常に確認して、少しでも働きやすい職場環境を造る事が第一と思うのです。

売り上げに対する、事細かな指示が上部組織から下ろされる事も多いのですが、あまりまともに伝えないようにしています。売り上げ売り上げと、企業の言いなりに動く、ケアマネに成りたくないのです。

そもそも、ケアマネが売り上げ貢献に一役果たさなければ成らない事事態が、可笑しいのです。介護支援専門員は、中立の立場であってこそ其の仕事がまともに出来るのですから。利益誘導をする立場には、公正なケアプランは作成出来ない、と考えています。そんな環境に置かれる民間企業のケアマネ全体で、今後の日本のケアマネジメントの在り方を変えてゆかねば、と思います。



利用者さんには、出来ることなら、それぞれの思いを満足して頂ける対応をして、何とか安心して頂きたいのですが、出来ないことは無理ですと告げる事も必要です。介護保険で実施可能かどうかは、ケアマネの判断を超えた法律の規制があるのですから、幾ら気持ちでは協力してゆきたいと思っても、サービスを提供出来ないこともあります。



こうして考えて見ると、出来ないことは、出来ませんと、はっきり云えるケアマネの方が、いい加減に言葉をごまかすケアマネよりも、対応がはっきりしていて分かりやすいと思います。大事な事は、利用者さんや家族さんに、少しでもケアプランの事、サービスの在り方の事を考えてもらい、共に如何したら一番相応しいのかを見つけてゆくことですから。お互いが相手を必要とし、お互いが相手の事を真剣に考える、こんな関係を作ってゆくために、今後も最大の努力をしてゆきたいと思います。





私には、夢があります。それは、ケアマネジメントの事業所の独立です。現在の報酬体型から規定される事業収入だけでは、確かにケアマネだけでは厳しい事業収入に成ります。

恐らく、独立の居宅介護支援事業所は、厳しい経営状況である事は間違い無いのです。

でも、厳しくとも、それを遣ってみたいという、夢が私にはあります