no24御年寄りの話しを聞く事。

仕事上、御年寄りのお話しを聞く事がたびたびあります。

しっかり自己主張できる人ならば、彼らが言わんとする事を掴む事はそんなに難しくないのですが、自分の考えや、感情を上手く言えない人、言葉が出せない人に対するときなかなか簡単には、其の人の心が見えません。



色々此方の方から誘導して見ても自分の意見を見せない人がいます。貝が堅く口を閉ざしているように、待っても待っても其の人の言葉が聞こえてこないことがあります。

沈黙は金なりと云いますが、長い間、黙って其の人と顔を見合わせていても、疲れてしまう事も在ります。言葉が途切れる事を恐れる必要は無いのですが、相手の気持ちや、考え方を知るという意味では、コミュニケーションが途切れたままではなかなか伝わってこないのです。



(自分が相手の傍にいることで)相手が負担にならないならば、沈黙も叉必要かと思いますが、若し、相手のストレスになるようだと、緊張を和らげるための声掛けが必要になります。

それから、相手を観察する、という事も必要になりますので、言葉が交わされていなくても、どんな顔色で、表情が良いのか悪いのか在るがままの状態を観る事が必要です。

大切な事は、此方がべらべらおしゃべりをして、相手の気持ちを台無しにしないことです。その意味では、訪問して利用者と面会する事により、まずはしっかり御年寄りの話をお聞きする事が第一です。

叉、言葉がしゃべれない方や、ボディーランゲージ等を使って、他のコミュニケーションの可能性を見つける事も必要です。



大原則として、まず、何処までも相手の主訴を聞いて行く姿勢が求められます。・・・しっかり、自分の云う事を聞いてくれている事が自覚されてくると、目の前にいる人間が、自分の事をしっかり受け止めてくれていると分かれば、自然と心を通わせることも可能となるはずです。

叉、同じ事を繰り返す、という事があります。昨日も、今日も、同じ事を話す方が居られます。そんな時、同じ事であっても、しっかり相手の話に耳を傾ける事が必要です。禁句として、「其の話しは、もう聞いています」と云う云い方。此れを云う事により、御年寄りからすれば、「こいつは俺の云う事を聞いてはくれない奴」と映ります。例え、いつもの繰り返しであっても、しっかり話しを聞いてあげること、時には別の質問をして観ること、等々が有効です。若し「俺は同じ事を云っているのか?」と聞かれたら以前も、其の話をお聞きしております」と正直に伝える事が良いでしょう。

何処までも、相手に寄り添って会話をしてゆく姿勢が求められているのです。

勿論、相手のレベルにより、対応する方法も少しずつ異なるかもしれませんが、御年寄りとお話をする、という原則は変わりないと思います。

こんな事もあると思います。

「もう、はようお迎えが来てくれんかな」

こんな口ぶりを繰り返す御年寄りも居られます。・・・もう自分は十分世の中を生きてきたから、好い加減にあの世に行かして欲しい、と云われるのです。

きっと、其の御年寄りにしては、もう終わりにしたいと願われていることでしょう。十分に生きて来たので、もう生きたくない、と其の人が思っていても、寿命というものは、それで終わりになるわけではない。

人間の寿命は、人の意思とな無関係に遣ってくるものです。「今から、生命活動が停止します」というアナウンスはされない。突然に終わりが遣ってくるのです。

ただ、老衰の場合は、次第に本人も終わりに近付いている風景を自覚しますし、季節が秋から冬に変わってゆくように、終息が近い事を知る事が出来る筈です。弱気になる言葉ばかりが出るときは、一つ、歌でも歌ってあげる事が良いのではないでしょうか?其の人が一番充実していた頃の懐かしい歌がきっとあるはずです。・・・そんな歌を歌うことにより、きっと満足される筈だと思います。