離職する人々が続出する介護現場から。

no-mu2008-03-20


ご存知のように、介護の業界ではその待遇の悪さが人材流失に拍車をかけております。
新しい人材が増え、その人に仕事を覚えて頂き、慣れてきた頃に「辞める」?何でやと聞くと、「給料が低い、これでは将来が不安、食べていけない等々…」
こんな形で人材がどんどん流出し、常に人が入れ替わっているから介護されている利用者が不安を覚える。苦情が増える。でも現実が変えられない。またまた退職者が出る。・・・こんな風にマイナス要因だけが積み重ねられ、どんどん介護の業界では問題が積み上げられているのです。**介護報酬を上げれば解決する。そう考えている人もいますが、そんな単純なことではありません。例え、来年度いくらか改善されるとしても、その分の財政負担をどうするのか?という問題が解決されねばならないし、社会がそうした負担を由とする理解がはたして得られるのかどうか?今の時点では楽観できません。
また、仮に報酬改善されても、それがどれだけ介護スタッフの収入に反映されるのかどうか?その点の担保はないのです。
こうしたことを考えると、またまた非楽観的な考え方が支配的になり、どうせ、夢のある仕事は介護の業界では望めないんだと諦めの思いが充満することとなります。

こうした現状を、介護以外の方にもしっかり理解して頂くため、以下の声を貼り付けておきたいと思います。

貼り付けているのは、ある介護の職業的組合の組合ホームページに掲載されたフォーラムの中での投稿です。これを読んで下さり、少しでも介護の現状を感じて頂ければと思います。

『このフォーラムでは、会社や組合指導部への批判が増えています。

これは、組合員の声を反映しており、現実の過酷な労働現場からの叫びと不安が映しだす影です。

このフォーラムがどこまで継続されるのか?分かりませんが、組合が組合たる存在である限り、こうした組合員の下からの声は反映されるべきです。

でも、そのうち、こうした声が打ち切られることが起こるかもしれません。

その時は、組合が組合たる所以を放棄した時だと考えています。

執行部の人たちには快くない不満も、民主主義を土台とするならばその声を無視してはならないし、言わんやそうした発言の機会を閉じることは許されないと思う。

言論の自由、表現の個性は最大限に認められるべきであると思います。

現在の企業の管理体制や、介護業界の待遇の劣悪さが嫌になって、(また、それに加えて組合の妥協的な方針にへきへきして)この業界から去っていく人が後を絶たず、増えていることは事実です。この事を誰も否定しないでしょう。

20代や30代の夢多き労働意欲が、介護業界の待遇の悪さに落胆して、他の業種に転換する流れを現時点では止めることは出来ませんが、私はここは踏ん張りどきであると考えております。そうです、この仕事を辞めずに踏ん張る必要があるのです!(・へ・)

世界でも類を見ない高齢化の流れの真っただ中に私たちは置かれており、ここで発生する問題と真剣に取り組み解決の方向性を模索することの意義は大きいと考えるからです。

仕事で得られる報酬のみすぼらしさと、経営者の理解不足を考えるとき悲観的な予想だけが進行することを止めるのは大変です。

でも、私たちは、未来の世代にきちんとこうした超高齢化の社会での介護の在り方をせめてその方向性だけでも指し示す責任があると思う。

ひょっとすれば、この改革は社会全体に及ぶ社会改革へと発展する要素を持つかも知れない・・・単に高齢者の介護を誰がどんなふうに受け持って行くのか?という問題だけではなく、社会の仕組みそのものをもう一度組み替えるような運動へと発展する予感がします。

会社の在り方を変え、その中の組合の実態を改革することは容易ではありませんが、一人でもこうした運動の必要性を望む人が増えていけばきっと実現できると考えますが、それは単なる夢にしてはなりません。

あくまでも、このフォーラムは一つの関わりであり、私達の日常のコミュニケーションの中で改革の為の繋がりを強めるべく、明日を生きていきましょう。
(今は、こうした抽象的な言い方しか出来ませんが・・・)』