私が、これからできることは何か?中村哲さんの死を考える。

アフガニスタンの東部ジャララバードで襲撃を受け死亡した中村哲さん。其のショッキングなニュースは、今も答えのない動揺を多くの人に与えていると思う。日夜ガニスタンの人々のために医師として現地で活動し、専門外の灌漑工事などを手掛けて、現場のニーズに答え、人生をささげている人が、心無いグループのテロ行為で命を落とした。「何で、中村さんが殺されねばならないのか?」

答えのない疑問を抱きつつ、現地の混沌とした暴力と憎しみが渦巻く状況に、日本で暮らす自分の、無力感を痛感する。

 中村さんの家族(奥さんと娘さん)が、現地の取材に対して、悲しみをこらえながら、気丈に「今まで大変お世話になりました。」と語り、深々と御礼をする娘さんの姿を見て、衝撃を受けた。

普通なら、悲しみと憎しみによる辛さで、残酷な仕打ちに対して抗議の声を含ませる語りになっても不思議はない場面と思う。しかし、涙でうつむく母親の背中を触れながら、淡々と、言葉を選んで会見する娘さんの姿に、感動を禁じえなかった。

 おそらく、最悪の事態を覚悟して、中村さんはアフガニスタンで活動されていた。その決意を家族も共有していたことと思われる。決して起こってはならないことであるが、その時が来ても中村さんの意思を尊重し、そのまま受け止める覚悟を家族がされていたことだろう。

 こうした、悲惨なテロを、どれだけ重ねれば平和なアフガニスタンが再構築されるのか?どれだけの血が流されねばならないのか?

 中村さんが、今、私たちに何を語りかけているのか?

その答えを、私はこれから、しっかりと見つけていく責任があると思う。私が出来ることは何かを。