上野石之助さんは、まず、墓前の母に詫びを入れたという。

日本陸軍兵士、上野(うわの)石之助さん(83葉、故郷の地に赴き、まず母親の墓前に参り、自分が無事暮らしていることと、今までそれを報告出来なかった事を詫びたと言う。本来ならば、60数年にわたって、自分の人生を翻弄した戦争というものに対して憤りを表してもいいところを、自らを詫びることから言葉を始めたというところが、いろいろ考えさせられる。

多くの兵士たちを外地の戦地に送り込み、命を投げ出すことを強制したのは、日本の国家である。おそらく、多くの兵士はそこで死にたくは無かったはずなのだが、潔く戦死することを旨とする軍事教育がなされ、死ななければ国賊扱いするような考え方が強制されていた。・・・こうした軍国主義の時代に、運よく生き延び、今日まで生きてこられた人を目の当たりにするとき、その人生の重さに脱帽する重いです。

上野(うわの)石之助さん(83)=ウクライナ在住、岩手県洋野町出身=が無事帰郷できたことは、(ご兄弟はじめ知人の方の暖かい出迎えを受けたことは)承知のことだが、ここまで所在が判らず、故郷から離散していたのは、国家というものが行った戦争に起因していることは明らかです。

幸いにも、今回母国に帰ることが出来、懐かしい親族とも再会を果たすことが出来たが、国家の責任という意味では、戦争がいかに人々の絆を引き裂き、多くの人の生命を犠牲にしてきたのかを如実に示していると思う。



本来ならば、上野さんの口から、『戦争は、ひどい。私たちの人生を狂わせた。』という告発の言葉が溢れても当然のことだと思うが、彼の口からは決して非難めいた言葉は出てこない。・・・いや、出そうとしても言葉にならないのかもしれない。多くのの戦友が死んでゆき、言葉にならない叫びを発していなくなった事を、決して忘れてはならないと思う。



非戦の誓いをしなければならないのは、我々の仕事であると思う。

戦い、傷つき、計り知れない悲しみの体験をしてきた人達からは、もはや言葉というものは無いのかもしれない。・・・だからこそ、私たちは、後世の世代に平和のための歴史の事実を残し、この悲しみが2度と繰り返されない様に伝えてゆく責任があるのだと思います。



靖国神社に参拝している暇があるのなら、一人一人の戦争犠牲者が何を感じ何を叫んだのかを調べ記述し噛み締めることが必要だと思います。悪戯に近隣諸国を刺激して、それを心の問題だと詭弁を使って知らん振りしていることは許されない。