犯罪者の狂気をよんだ背景は?

no-mu2008-06-09


昨日の東京秋葉原の連続殺傷事件、日本中を震撼させたが、時は6月8日、7年前の小学校乱入殺害事件と同じ日に起こった。当時、小学校に潜り込んだ男は次から次に子供たちを追いかけて殺傷を繰り返したが、その時8人が亡くなっている。昨日は7人の市民が亡くなった。
こんな訳の判らない事件がどうして起こるのか理解に苦しむが、「気違いだから事件を起こした」のではなく、人を狂人に変えてしまった現代社会の1側面を恐ろしく感じる。

昨日の犯人は、東京に出稼ぎに来ていたらしいが派遣の仕事をしていたと言う。前々日までは普通の仕事をしていたというのに、何が彼を狂気の犯行に走らせたのか?今後の捜査でどこまで明らかになるのだろう?
彼は、犯行当時は普通の精神状態ではなかったであろうが、その犯行に至るまでの精神構造がどういう思考様式になっていたのか?

何もかもが上手くいかず、落ち込んで意気消沈する…そういう気持ちになる生活の流れは少なからず誰もが経験するであろう。
問題は、そうしたマイナスの精神状態の場面で、どういうケアーをしたら良いのかを冷静に判断することがなぜ出来なかったのか?です。

人は一人では力及ばず、いろんな人に支えられて、支え合って生きていくもの。ところが人と協力して生きていく術を知らない人が社会で生きていくと、ともすればストレスが普通の限度を超えて爆発してしまうような場面が出てくるに違いない。
例えそういう精神状態を認めるとしても、そうなったときに何をすれば良いのかを知っているか知らないかで大きく人生が変わる。・・・例えば、誰もいない川べりに行って大声で叫んで唄を歌いストレスを発散すれば、少しは人間落ち着くものです。人に迷惑をかけない、自分の思いの発散方法を弁えることこそ、現代人が社会で生きていくために必要なすべなのです。

恐らく、今度の犯人加藤某は、そうしたエネルギーの発散の仕方を知らない人間であったと言えるでしょう。
そういう狂った人間を常に排出する現代社会は、基本的には社会的弱者を排除する社会です。持てる者と知識のある者を優遇し、要領の悪い、不器用な人間を冷遇する傾向がどんどん加速化している。こうした社会における格差が若い人たちの夢を奪い、落ちこぼれていく人達の激しいストレスを生みだしていると考えて間違いないだろう。

今回悪夢のような犯行の犠牲になった人達とその家族の無念は、私達がいくら同情してもあまりある悲しみがあるでしょう。
でも、こうした犯行が再び起こされることのない様な対策をたてていかねばならない。

単なる警察力の強化の問題ではなく、処罰を重くすることが犯罪の防止に繋がることもないと思う。新にこうした犯行を無くす為には、社会自体の基礎単位において人と人とが支え合って生きる関係を強めることだと思う。家族や学校友人や知人等の関係の中で、しっかりと互いに支え合う関係が形成されていれば、人は生きがいを持つことが可能となる。

お亡くなりになった方々の冥福を祈り、2度とこうした犯罪が繰り返されぬことを祈りたい。