リオディジャネイロ五輪の楽しみ方は?

 リオのオリンピックが始まった。7日、水泳男子400m個人メドレーで萩野と瀬戸が1・3位となり、表彰台に二人が立った。素晴らしいレースでした。

 ここではっきりしておきたいのは、メダルがどうのこうの?そういう話題にして欲しくない。今日の朝日の新聞記事にも書かれていたが、米国ではメダルがどうなるのか?という発想や予想はしないようです。競技はメダル争いにするのではなく、選手各々の自分との戦いであり、今までの自分にため込んだ力と技術を、最大限に引き出すことに集中すること、そこに焦点を当てるそうです。
 
 マスコミが、やれメダルが何個とれるのか?という話を持ち出すごとに、視聴者がそういう関心に誘導されることは大変遺憾だ。
 結果として、表彰すべき成果を残せたことについては、大いに称えてよい。しかし、たとえ、レースで最下位になろうとも、最後まで選手の力を振り絞って戦ったことについては、勝者と同様栄誉を送りたい。それがスポーツ精神。

 ちょっと、マスコミ連中のしゃべり方を、教育し直して欲しいものだ。

ところで、オリンピックが終わるまで、夜時間帯の競技番組が目白押しで、寝不足気味になってしまいそうです。

 視聴者としても、最後まで楽しむために、食事や睡眠は、しっかり確保し、健康で過ごしたい。

 やはり、見る方も健康でないと、協議を100%楽しむことは難しい。
特に私の場合、目に疲れが来る。
 仕事でも、パソコンを使うことが多く、テレビにかじりついてみる時間が長引いてしまうと、どうして眼精疲労になる。見るときは集中して、そして、目を休ませ、だらだらと見ない。これが私の、在宅テレビ鑑賞法です。

 それからもう一つ、開会式のビデオを見たが、一番の印象はいわゆる「難民選手団」が行進したこと。
 祖国シリアは、現在も戦火の中であり、オリンピックを楽しめる状況にない。しかし、その中でも、派遣選手がオリンピックにやって来た。
 思い切り、力を出し切って、協議に集中して下さい。
あなたたちが、立派にオリンピックに参加した歴史が、きっとこれからの次世代の人々を勇気づけ、平和国家建設を実現していくことでしょう!

 ブラジルでは、オリンピックどころではない財政問題や社会問題が山積みしている。大統領がオリンピックに姿を見せない現実を考えると、五輪後のブラジル社会の行方は、いばらの道と言っても過言ではあるまい。貧困の格差も広がり、立て直さなければならない課題は山とあるようです。
 浮かれる現実ではないことは事実です。

 しかし、世界の注目を浴びて、人々が平和の手をつなぐことは、今後の社会平和にとっては無駄ではないと考えている。