介護を受け入れる事、受け入れないこと。

no-mu2008-10-31

職業柄、障害や高齢になって自ら介護を受け入れる際にどういう態度をとられるのか?注目したい問題があります。
2000年以来、介護保険制度が浸透し、介護サービスを受けておられる障害・高齢者が増加しています。それは当然の成り行きですが、一方ではそうした介護サービスを受け入れない人たちも沢山おられます。 以下対照的な二つのパターンについて述べていきたいです。

(サービス拒否の事例)
例を挙げさせて頂くと、Kさんは80代の男性ですが最近体調不良により受診すると肝臓がんの進行が発見されもはや手術等の治療が出来ない状態と診断されました。
本人は病状の自覚が薄く、夫婦二人暮らしの生活を維持したいと考えています。
しかし、奥さんも認知症の進行が見られ家事等の毎日の用事が満足に出来ません。Kさんが元気な時は、男手で夫婦の食事・買い物などされてきましたが、ここにきて寝込むことが多くなり満足に外出もできない状態になられています。近郊に住まれる娘さん、息子さんが休みの日には様子をうかがいに来ますが、毎日の家族支援が出来ないので困っておられました。

そこで介護サービスを提供して、夫婦の生活を見て欲しいとの依頼を受けました。・・・契約の時に、ご本人の意向を確認しようとしましたが、本人たちは介護サービスを理解せず、いくら説明しても(聴覚障害がある)聞こえづらいこともあってうまく制度のことが伝わりません。何とか趣旨を御理解して頂こうとして説明を繰り返しても、「そんな契約何になるねん。何もしてくれんで良い。煩いから帰ってくれ!」と短気を起こされます。・・・結局、本人たちへの説明と同意は得られず、息子娘さんの強い意向により、ご家族の負担を軽減して少しでもお二人(当事者夫婦)のお役にたてる支援をしてみるということで契約を履行しサービスを始めました。
計画通りに訪問介護のヘルパーが訪問して、通院の介助や買い物・調理などをさせてもらおうとご本人にその都度声かけをしました。
しかし、通院についてはしぶしぶ2度ほど近くのかかりつけ医に受診されたのですが、買い物・調理等については、「何もしてくれるな」とかたくなに支援を拒否され、サービス実施が出来ない状態が続いています。

息子娘さんたちに相談し、「今後、こうした拒否が続く場合、声かけを継続することが難しい」ことを伝えています。実際問題として、現場に赴きサービスが出来ない限りにおいてヘルパーさんの介護サービスの請求もできず、その都度サービスキャンセルとしてヘルパーさんにキャンセル手当を支払わなければならない。事業所としても、こうしたボランティアが続くを容認できないわけで、利用者の拒否がある限り無理にサービスをすることが出来ないのです。
Kさんは、おそらく自宅で過ごす時間がもう僅かしか残されていないでしょう。本来ならば、病院にて療養して頂く状態なのですが本人の希望により自宅にて夫婦で暮らしたいとの希望なのです。その際の生活面のお手伝いをさせて頂く事は、十分介護保険でも出来るのですが、本人が拒否を繰り返されている。こうした場合に、いくら肉親といえども子供さんたちだけの思いでサービスを入れ続ける事は、やはり無理があることを痛感します。声かけをして、訪問しているヘルパーも困惑しています。
普通に考えれば、他人であるとはいえ、買ってきて欲しいものの買い物をしたり、作って欲しい調理をヘルパーがするのですから、100%満足とはいかないでしょうが有難い話のはずです。
でも、人には生き方を選択する権利があります。毎日をどう生きるのか?誰に何を頼みたいか?頼みたくないか?それはご本人が決められることであり、他の者が介入して指示するものではないでしょう。もし、認知等により自分で判断できない場合は身近にいる人がその人の代わりになって判断を代行することが出来たとしても、今回のような自分で生き方の判断が出来る方の場合は、やはりご本人の選択を重んじるほか仕方がないと思うのです。

Kさんの背景には、今まで生きてこられたKさんらしさというものがあるのです。たとえその生き方が、周りの家族や支援する側から見て不自由に察せられるとしても、それを判断して選択されるのはKさん自身です。私たちが見て、その生き方が意固地であり視野の狭い閉じこもりを危惧させるものであるとしても・・・

今回この事例では、自己決定の大切さと家族であっても介入できない本人の意思があることを学ばせて頂いています。
確かに、何かをして差し上げられるはずなのに、手を出せないもどかしさと歯がゆさを感じます。でも、それはその人としての生き方の選択です。当人判断の大切さを侵してはならない、このことに気付かせてくれていると思うのです。支援する側の姿勢を改めて勉強させて頂いている毎日です。

(サービスを有効活用されている事例)
次に、拒否されている生き方とは正反対の、有効活用されている事例を少し紹介します。
Sさんは80代で一人住まいです。
年金をやりくりしながら、独居生活を続けておられますが、最近腰やひざ関節に変形と痛みを患い近くのかかりつけ医に通いながら治療されています。医者からは手術は無理だから、これ以上悪くならないためにひざに負担をかけない生活をするように言われているそうです。でも日本の高齢者はほとんどが畳で生活しておられるわけで、座る姿勢から足腰に負担が行くことが避けられない。
生活面では、調理などはご自分でされるので、要支援認定により予防介護サービスを提供しています。内容としては、予防訪問介護サービスにより週2回の掃除買い物等を支援する計画を建て、定期的にヘルパーが訪問しています。
話が好きな方で本も雑誌もいつも読まれており、社会的な情報もよく知っておられるので、若い人たちと意見を交わすことを楽しみにされているのです。音楽も大好きで、若者の流行ソングなどを自身も楽しまれて聞いておられます。ビーズのCDなどを持っておられると聞きびっくりしましたが、年齢を感じさせない音楽への愛着には感心せざるを得ません。
ご自身の子供さんがいないこともあって、今ではSさんにとっては予防サービスは生きがいの一つになっており、ヘルパーさんたちが訪問して和やかに歓談しながら用事を一緒に行い、掃除機がけなど力のいる仕事をヘルパーがすることにより自分で出来る事は自分でされています。
Sさんにとっては、継続訪問するヘルパー支援がなくてはならない人とのコミュニケーションを楽しむ機会ともなっており、単に家の用事をしてもらうためではなく生きていくための活力となる会話と笑いと意見交換の機会ともなっているのです。

私もケアマネとして、3ヶ月に1度は自宅に訪問してSさんの暮らしぶりをお話しして聞き取りをしていますが、訪問の旅に様々な話題を楽しまれ、人生をエンジョイされている様子が良く分かり、いつも感心して帰路に就くのです。
Sさんのように、介護ヘルパーとの交流を有効に継続して、人としての生きがいを見つけておられる生き方が出来る方は、幸せだなと思う。
ネガティブナこともきっと沢山あるには違いないのですが、そうしたことにあまり拘らず、どうしたら楽しく毎日が過ごせるか?誰と話をして充実した時間を送れるのか?何を情報収集して学んでいくのか?等々常に前向きに生きておられる姿に、人生の先輩として学ばせて頂くことが多いのです。
お金や財産は、決して十分なものを持たれているわけではないのですが、自分の残された人生を有効に、楽しく暮らすための知恵として、可能な関係をしっかり自分で築いておられる生き方に確かな人生の充実というものを感じるのです。

かたや人の援助と支援を拒否して自分の残された人生をひっそりと過ごそうと言う人がいます。

そして、もう一方では可能な人間会計を維持継続して心が満たされた毎日を積み上げようとする人がいます。

ほんと、いろいろ味わいがある事例に遭遇し、人の人生の生き方の多様性を知り、右往左往しつつ可能な支援の在り方、見守りの在り方を考えさせて頂いています。