ちょっと悲しい便り。

以前、Sさんのことをブログで取り上げたことがあったと思います。
脳梗塞を患って奧さんと二人暮らしをされていたんですが、奧さんに癌が発覚し、入院治療されるために利用者はショートステイの利用をされることとなりました。・・・ところが、入院後1ヶ月ほどして奧さんは病死、Sさんは家に帰れない境遇となる。
加えて、ショート先にて体調悪化で入院となり、認知機能も低下し、口からの栄養摂取も制限されIVHの点滴をされていました。
奧さんのことを知らすと、精神的な負担・ショックが懸念されたので病院相談員の判断で情報も伏せられたまま昨日までずっと入院されていたんですが、今日病院から連絡が入り「お亡くなりになりました」との簡単な連絡がされてくる。

悪い予感というか、奧さんが亡くなる時点でこうした進展は私の頭の中で予測されていた。だから、本来は利用者本人に奧さんのことをちゃんと話してあげ、線香の一本でも上げさせたかったのですがもうそれも叶いません。

2月の末頃までは、Sさんと奧さん、それに愛犬のチビくんは生活保護のランクではあるが普通に穏やかに暮らしておられた。
時には奧さんのヒステリーな愚痴話も聞かされましたがそれでも何とか自分たちの生活を維持しようという庶民誰もが行う生活の工夫や声かけが行き交う家庭がそこにはありました。

子供さんが居られないので、代わりに犬と猫が常に家の中を闊歩していた。・・・夜になると、横になった奧さんの布団の中は、何匹かの猫たちが知らないうちに転がり込んで横になられていたという話も聞いていた。
「自分のことは、最低限度のことが常に出来るよう、甘い介護はしません。トイレまでは自分で歩いて、自分で動いて」と常にSさんに声かけをされていた。利用者もそうした妻の叱咤激励に答えようと、麻痺している左手左足をかばいながらも、何とか家の中では杖を使い手すりを伝って移動を試みられていた。時には転倒して骨を折られたりすることもあったが、それでも本人を甘やかすことなく自分で動くよう声かけを続けておられた。
こうした夫婦ならではの声かけは、一見情けのない介護に見えるが道理があり結局は本人の努力を引き出す夫婦の関わりをずっと10年あまり継続できる力となってきた。もし、そうではなくて、本人に何も要求せずに寝かせきりの介護がされていたらSさんの状態はもっと早く機能低下が進んでいたように思う。

もし、奧さんさえ元気に健康が維持できたならSさんの寿命もあるいはもっと維持できたことは間違いないが残念ながら奧さんの方が先に病死し、ご本人も病状が回復せず、そのまま病院にてお亡くなりになる。

・・・こうした経過をケアマネとして関わりながら何も出来なかったことが残念ですが、せめて奧さんの葬儀には利用者を立ち会わせてあげたかったというのが私の果たせなかった悔いです。
誰も情報を制限する権利はなかったのですが、それでももし、配慮無しに奧さんの死亡を利用者に告げたらそのショックは計り知れない精神的負担になったことも間違いないことです。こうした配慮から、情報は伏せられたままでした。そのことの是非は誰にも批判は出来るものではない。
しかし、結果的にはSさんはだんだんと意識レベルが低下している中で奧さんからも遠い世界に離され、病院の看護師以外は誰も自分が認知できない人の関係に置かれ、話をすることも出来ず、思いを打ち明けることも出来ずにお亡くなりになった。こうした経緯が果たして最善の方策であったのか?私には分りません。
入院後に担当されていた病院に、そうした問題をどう問いかけたらよいのか?今の私には分りませんが、肉親が誰も居られない境遇の中で、入院が長引き状態も悪化したとき、どんな関わりを持っていけばよいのか?今後のテーマの一つとさせて頂きたい。
こうした終末期の介護と看護の方策は、現状の医療・介護の在り方ではとうていきめの細かい連携はとりがたいものがあります。
今後、こうした事例が増えることは間違いないことですので、もっと現実の患者と利用者に最後まで寄り添える支援方法がとられなければならないと痛感します。
余談になりますが、Sさん夫婦が可愛がられていたチビが家で死亡し、その遺体がそのままになっていて、それをやむなく私が片付けて動物遺体処理の市の係に引き取って貰ったのが四月末。奧さんの死亡もやはり4月の末でした。
・・・こうして、Sさん一家は相次いで天国に逝かれ、誰も帰らぬ借家には未だ所帯道具がそのまま置かれています。
恐らく、市の処分が近々されて全て片付けられることになるでしょうが、私の心境はすごく心に詰まるものがある。
恐らく自分が一番近くに位置する立場に立っていたであろうと思われるが、何も出来なかった、なすすべがなかったことを思います。
病院に、奧さんをお見舞いした4月の始め、奧さんがぽつんと言われていた言葉を思い出します。
「もう、諦めています。チビも駄目やろうし、おっさんもあかんかもしれん、もうどうでもええわ」
・・・わたしは、何も言う言葉が無く、長い間奧さんの顔を見ながらゆっくりとうなずいていました。
短い時間でしたが、その面会が結局最後の面会となり、奧さんと言葉を交わすこともなかった。きっと、旦那に託したいもっと沢山の言葉があったろうに、それを取り次ぐすべを持たなかった自分に歯がゆい思いを今も抱きます。

すこし、悲しい話になってしまいましたが、こうしてSさん達のことを思い出し、心に留めることが一つの供養ではないか?とも考え書かせて頂きました。

ほんと、ケアマネしてると、自分一人では抱えきれないものが沢山あります。でも、それを肥しにして前に進んでいくのです。